「『婦人公論』にみる昭和文芸史 (中公新書ラクレ)」

 

『婦人公論』にみる昭和文芸史 (中公新書ラクレ)

『婦人公論』にみる昭和文芸史 (中公新書ラクレ)

 

 冒頭の「細雪」が婦人公論に連載されていたときのエピソードに惹かれて、あと私が森まゆみさんの著作のファンだということもあって読み始めたんだけど、太宰治の項で太宰治のあまりのクズっぷりに苛々して途中で挫折した…。

内容はね、雑誌「婦人公論」に執筆していた文豪の紹介。谷崎潤一郎とか、林芙美子堀辰雄芥川龍之介に恋された女性…名前忘れた、その他錚々たる作家。太宰治やたらと死にたがって(その割に戦時中はちゃっかり死のうとしない)、しかもいつも女性を道連れにとか最高に苛々してこいつほんっとクズだな!と思ってしまった。

太宰治ほどイライラしなかったけど、他の作家も「いい気なもんだな」「勝手にしろ」みたいななんか悪態つきたくなるような感じだったんだけどなんでだろw 私ってそもそも大作家の奇行エピソードってそんなに好感持てないタイプなんだよな。中野翠さんがやたら褒めてた森茉莉の「世間知らずなお嬢様だけど味覚や美的感性は鋭い」エピソードも「めっちゃ性格悪くて質悪い!それにこの人とは美の感覚も味覚も合わない!」としか思えなかったし、三島由紀夫が私設軍隊作ったりしたのも「戦争で悲惨な目にあったこともない甘々おぼっちゃんのお遊び、よかったでちゅねー」としか思えない。ただ、三島由紀夫については、はりきってカッコつけてる時に面と向かって批判されたり、苦笑されたりすると、すごく落ち込むという話を聞いたので、後から少し好感を持ちましたw

『アルビノを生きる』

 

アルビノを生きる

アルビノを生きる

 

本書は著者の川名紀美さんが、様々なアルビノの人にインタビューをしたもの。なんだか良質な群像劇を味わったような読後感。日本全国、様々な年代のアルビノの人の話が紹介されつつ、それぞれの人たちが知り合いだったり、影響を受けていたりと、微妙に互いが重なり合っています。

そして、アルビノの人たちが重なりあう結束点みたいになってる人がいるんですよね。一人は冒頭に登場する石井更幸さん。それから石井さんがオフ会を積極的に開いていくきっかけとなった「アルビノのページ」というホームページを作った宮元浩子さん。アルビノの人たちが交流できる場を作りたいと、アルビノ・ドーナツの会を主催している薮本舞さん。彼らをハブにしながら、全国に散らばっていたアルビノの人たちが出会い、つながっていく様子は読んでいてワクワクします。

ちなみにアルビノというのは、生まれつきメラニン色素が足りないという、1~2万人に1人の割合で現れる遺伝性の疾患です。メラニン色素の欠乏から紫外線に弱く、また、視覚障害を伴うことが多いそうです。

そういう身体的な不自由に加え、医療機関や学習機関の無理解で適切な治療やサポートを受けられなかったり、差別に直面することもある。そうした中で、どう折り合いをつけたり乗り切って生きるか。それぞれの人の体験を読み出したら止まらないほどでした。

アルビノの子を親はどう育て見守っていくか。今の私としては、そういった親の側からの体験談を特に熱心に読みました。一番私の中に残ったのは相羽大輔さんのお母さん久枝さんが、小学生の時に上履きを隠される意地悪をされた大輔さんに「なくなったら探さなくてもいい。上履きくらい、いくらでも買ってあげる」と毅然として言ったというところ。なんで印象に残ったんだろ…。私が子供の頃に同じことがあったら、まず親に隠しただろうし、親に知られたところで私に味方してくれるわけでもない、むしろ私を責めるような対応をしてきたんじゃないかと思うんだよね。そんな中に、こういう自分のことを全面的に受け入れてくれる態度を見せてくれたらすごく心強かったんじゃないかなと思って。

あと、仏教に関心のある私としては、仙台にある「みんなの寺」の存在を知ることができてよかった!巷によくある金満似非仏教ではない、本来の仏教に即した、誰でも自由に立ち寄れるお寺。そのお寺を作った住職がアルビノだということで、本書に登場するのですが、仏教やお寺への考え方にとても共感して、このお寺に行きたい!!と思いました。檀家ゼロから始めて、巷のお寺がやるように、葬儀、法名、法事に高額なお金を請求したりせず、金銭的な運営という面では不安な船出だったものの、それが多くの人に喜ばれ、檀家も収入も逆にどんどん増えていったというのが痛快でした。

締めがアルビノと関係ない話になってしまいましたが、そういう様々な分野の人たちの生活や生き方が垣間見れるという面白さも本書にはあるんですよね。

『家族写真をめぐる私たちの歴史: 在日朝鮮人・被差別部落・アイヌ・沖縄・外国人女性』

 

家族写真をめぐる私たちの歴史: 在日朝鮮人・被差別部落・アイヌ・沖縄・外国人女性

家族写真をめぐる私たちの歴史: 在日朝鮮人・被差別部落・アイヌ・沖縄・外国人女性

 

 在日朝鮮人女性である皇甫康子さんが在日女性のグループ「ミリネ」のメンバーに呼びかけ、お互いの家族写真を持ち寄り語り合ったことが、本書が生まれた始まり。

朝鮮半島被差別部落アイヌ、沖縄、フィリピン、スリランカベトナムにルーツを持つ女性たち24人が家族写真を持ち寄り、そこからライフヒストリーや家族との関わりなどを語ります。

読んでいて感動もしたし、涙ぐむときもあったし、しみじみとした気持ちにもなりました。でもこの本はそういった感動や気持ちを消費するだけのものではありません。この社会でマジョリティとして生きる私は、本書を読んで「すごくいい本だった、感動した」というだけではいけない、晴れ着であるチマチョゴリを着るのに勇気がいる社会、誰かに傷つけられるのではないかと緊張する社会ではいけない、そう強く思いました。

現在は昔みたいな差別は無くなった社会だと言う人もいますが(あの在特会の存在を知っていてもなおそういう認識の人がいるんですよ!)、出自や差別にまつわることは祖父母から親、子、という縦構造で伝わり、結婚するときにいきなり相手方の親の反対などで露呈する、という感じで、今も多くの人を苦しめているのではと思います。

自分自身についても「私は差別意識などない」と思っていても、単に無知で無自覚でそう言ってるだけのことがあるんですよね。自分でも注意深くありたいです。

それから、冒頭にあげた、本書を読んで感動したり涙ぐんだりしたところ。そうなんです。そういう魅力もこの本にあるのです。語り手の方の祖父母、親世代の困難な人生、語り手の方たちの世代との衝突、語り手の方たちが大人になって親たちを理解したり和解したりするところ。そんな、親子の物語、家族の物語ということでも、とても心を動かされました。

『モンゴル帝国の興亡 (ちくま新書)』

 

モンゴル帝国の興亡 (ちくま新書)

モンゴル帝国の興亡 (ちくま新書)

 

 世界史の中心といえば中東とヨーロッパかと思っていたところに、突然世界史の主役に踊り出てくるモンゴル。アジアの、しかもめっちゃマイナーな地域だし。しかも主役になったと思ったらその後まったく音沙汰聞かないし。そんなモンゴル帝国がどのように繁栄し、ヨーロッパまで席捲したあとは一体どうしちゃったのか。ぜひ知りたいー!と思って本書を読み始めたのですが…途中で挫折してしまった。

モンゴル帝国の建設者、テムジン・チンギス・ハーン以前のモンゴルの記録を、唐、遼、ペルシア、金それぞれの国にあるものから載せてあって、そこで挫折した。単語が読めなくてつっかえるのと、情景がさっぱり思い描けなかった。少し引用してみると「唐の記録によると、大山の北に、大室葦部落がある。その部落は望建河(アルグン河)にそっている。その河は、源は突厥(トルコ)の東北界の倶輪泊(ホロン・ノール湖)に出て、屈曲して東に流れ、西室葦の界を経、また東に流れて…以下略」こんな感じ。これで挫折。

なので、モンゴル帝国盛衰の流れはよくわからなかったけど、ところどころ知ってよかった知識を仕入れられた。

まずこれ。

「歴史は、世界中どこにでもあるというものではない。地中海世界と、中国世界に起源があって、そのほかの地方には、それぞれ地中海型か、それとも中国型かのコピーしかない」

地中海世界では、紀元前5世紀に、地中海の一角、小アジアのハリカルナッソスに生まれた、ギリシア人とカリア人の混血のヘーロドトスという人が、前480年にペルシア王クセルクセースが、大群を率いてギリシア全土を攻めて、アテーナイの前のサラーミスの海戦で敗れて逃げ帰った事件に興味を持ち、この問題を「研究」して『ヒストリアイ』(調査研究)という書を書いたので、それが発端になって「ヒストリア」が「歴史」という意味を持つようになった」

「中国世界では、紀元前2世紀の末の前104年、前漢武帝が、この年の陰暦十一月(子の月)の朔(ついたち)が、六十干支の最初の甲子の日であり、しかもこの日の夜明けの時刻が冬至であるという、中国の暦学でいう、宇宙の原書の時間と同じ状態が到来したのに合わせて、太初という年号を建てた。このとき、太史令(宮廷秘書官長)の司馬遷らの定義によって、歴訪を改正することになり、「太初暦」が作られて、それまで年頭であった十月(亥の月)に代わって、正月(寅の月)が年頭になった。

司馬遷がこれを記念して、『史記』を書きはじめ、前97年に及んで完成した。「史」はもともと、「記録係の役人」という意味だったが、太史令の司馬遷が『史記』を書いてから、はじめて「歴史」という意味ができた」

『クーデンホーフ光子の手記』 シュミット村木眞寿美

 

クーデンホーフ光子の手記 (河出文庫)

クーデンホーフ光子の手記 (河出文庫)

 

 本文よりも、シュミット村木眞寿美さんの思い入れというか存在感に圧倒される!光子さんよりも村木さんのほうが主役かもしれない。…おそらく、この感想は村木さんの本意ではないと思うけど、光子さんの本文が村木さんの思い入れの濃いプロローグとエピローグに挟まれてこそ一つの作品なんだと思う。前回読んだ『李香蘭私の半生』が山口淑子さんと藤原作弥さんとの共同作業であるように。

村木さんはドイツに住んで、ドイツ人の夫と子どもたちという家族を持っている。ドイツ語で暮らしながらも日本語とドイツ語のそもそもの思考方法の違いなんかもあって、ドイツ語ネイティブの娘さんに「ママ、何言ってるのかわからない」なんて時々言われてしまう。光子さんの手記には子どもからそんなことを言われたなんて書かれていなかったけど、光子さんの拙い手記を見ると、きっと子どもたちに「ママって時々何言ってるのかわからない時あるよね」なんて言われているんだろうな…と共感する村木さん。

こんな感じで、手記に直接書いていなくても、村木さんが「きっとこれはこうなんだわ」みたいな感じで、エピローグにどんどん書かれていたので、ほんとに書いてある字面だけ読んで「船の旅楽しそうだな」「クーデンホーフ氏みたいな、哲学や宗教に造形の深いインテリっておるよな」なんて思っていた私は、いやー浅い読み方してたんだなーと反省しました。

そもそも、これまでの光子さんの評伝や描き方では、持ち上げては貶されという経緯があったんだって。そういう、あるときには日本出身の貴族女性と崇められ、あるときには夫の精神世界をまるで理解できなかった無教養な日本女性と貶められと、評価が乱高下していたところ、村木さんが「よし、私が本人の手記を訳して等身大の光子さんを書いたる!」と手がけられたそうです。

それも、ハンガリー公文書館に苦労して通いつめて、コピーができないのでその場で手記を読んで録音し文字起こしして翻訳。しかもこの手記を見せてもらうまでがまた一苦労という、大変な思いをして書かれたんだよね。手記を音読していると、光子さんが憑依したかのようにオーストリア風ドイツ語の発音になってしまったり、そもそも録音した自分の声が光子さんのそれのように聞こえてきたり。こんな思いをして書き上げた本だから、そりゃあ村木さんの存在感が濃くなるよね。

『李香蘭 私の半生』戦前の中国大陸

 

李香蘭 私の半生

李香蘭 私の半生

 

 四方田犬彦さんの『原節子李香蘭』が面白くて、特に李香蘭の項がよかったので、今度はご本人の半生記を読みました。自伝というか、藤原作弥さんが山口淑子さんにインタビューし、ご本人の記憶の途切れているところを取材して保管しながら書き上げたみたい。

李香蘭とか山口淑子さんとか一応説明しておく?李香蘭とは、山口淑子さんの芸名。芸名なんだけど、中国にいた頃に父の友人の李さんという人の養女になった時の名前ということで、子供の頃にこの名前がつけられた。だからまるっきりの芸名というわけじゃないんだよね。友人の養女というのは、なんでも中国では、友情の証として、親しい友人に自分の子供の義理の親になってもらって名前をつけてもらうという風習があるらしい。でも、後に学業のために、潘さんというまた別の中国人のお家に下宿しながら中国の学校に通うため、淑華という名前もつけてもらうんだよね。このときは日本への反感が高まってきた時だったから、日本名だと危険だということで中国名に。ややこしいねw

山口淑子さんは中国で生まれ育ったけど両親は日本人。だから日本語も中国語も流暢で、両国の文化にも通じてた。でもどちらかというとやっぱり生まれ育った中国の慣習や文化の方に馴染んでいたみたい。

山口淑子さん…というより私にとっては李香蘭の方がしっくりくるので以下こちらの呼び方で。李香蘭は10代の頃、ロシア人の親友リューバに誘われて声楽を習い始める。それで習い事の発表会なんかをしているうちにラジオ局の目に止まり、歌手として活動し始めるの。ラジオで歌う歌手としてそこそこ知られ始めた時に、今度は満映という、当時の日本の国策映画会社の目に止まり「日本語のできる満州女子」という設定で、あれよあれよという間に映画女優としてデビューすることになるんだよね。その後はレールの上をひた走るように、どんどん人気女優の道を進んでいく。

でも本人としては辛いところもすごくあるんだよね。本当の自分を隠しているから、インタビューなんかで生い立ちを聞かれてもうまく答えられない。嘘をついてるようなモヤモヤ感がつきまとう。中国の友人たちには「なんであんな中国人を侮辱するような映画に出るの??」と厳しく批判される。

日本でも大人気になった李香蘭は、いよいよ来日することに。李香蘭も「日本は文化も進んでいるし行くのが楽しみ!なんといっても祖国だし」と胸膨らませて下関に上陸するんだけど、そこの憲兵に「貴様!日本人なのになんでチャンコロの服を着たり名前を名乗ったりするんだ!」と怒鳴られてしまうの。いきなりショック。ここ読んでほんっと頭にきた!もうね、当時の兵隊のクソ威張り具合がほんっとひどい。いや、まあいい人もいたんだろうし、この本にも実際出てくるけどさ。ただし戦争批判者としてだけど。

中国で威張り散らす兵隊もほんっとかっこわるかった。これは上海での話で出てきたんだけど、威張り散らす場所が日本租界だけ(当時の上海は租界と呼ばれる英米仏日などの外国人居住区があった)という内弁慶さ。また、現地の中国人が日本が戦争に負けたことをすでに知っていて生暖かく見ているのに、当の軍人はそのことを知らなくて(情報が入ってきてもデマだー!と否定して)相変わらず威張り散らしてるとかもうほんっとイヤ。

山口淑子さんの自分を偽る苦しさは終戦とともに解放される(その前に、記者会見で自分は日本人だと告白する決意をしたんだけど未遂に終わる)。終戦当初は、中国を日本に売り渡した「漢奸」として軍事裁判にかけられる。そこで、ソ連の役人になっていた少女時代の親友リューバの働きかけで日本の戸籍謄本を取り寄せ、日本人であると認められて漢奸の疑いが晴れることに。

この辺りで本書の大体のところは終了。山口淑子さんのその後の人生もまたすごくて、ハリウッドに渡ってチャップリンやジェームス・ディーンと親交を持つとかブロードウェイのミュージカルで主役を演じたとか。でもその辺りはさらっと終わっちゃうのよ。「えええ、そこの話もっと詳しく!」って言いたくなっちゃうよね。でもタイトルが「李香蘭 私の半生」だし、山口淑子さんが李香蘭時代を整理して向き合うことが本書の目的なんだろうな。

あと、川島芳子登場シーンで、いつも肩に小猿をのっけて現れるというのがちょっとツボったw

 

『自負と偏見のイギリス文化―J・オースティンの世界 (岩波新書)』

 

自負と偏見のイギリス文化―J・オースティンの世界 (岩波新書)

自負と偏見のイギリス文化―J・オースティンの世界 (岩波新書)

 

 遅ればせながら「オースティンいいなあ」と読み始めたので、こちらの解説本を読んでみました。といっても、私が読んだのってまだ『エマ』と『マンスフィールド・パーク』の二つだけなんだけど。しかもこの解説本はけっこうネタバレがあるので、読まずして色々な本の結末を知ってしまった。でもオースティン本の魅力は描写の面白さにあるのだからいいかな。

こちらはイギリスの文化史の勉強にもなってよかった。近代のイギリスといえばヴィクトリア朝なので、オースティン作品の舞台もヴィクトリア朝と勘違いされがちなんだけど、実はその前の「摂政時代」を背景にしていたんだって。ジョージ4世が父の代わりとして摂政を務めたときから彼が即位して死ぬまでの時代で、お堅いヴィクトリア時代とは対照的に、奢侈、自由奔放、快楽主義が時代の雰囲気だったのだそう。

オースティンはこの摂政時代の人で、ヴィクトリアが即位する前に亡くなっている。摂政時代の特徴を表しているうちの一つは、例えば『エマ』で主人公のエマに散々振り回されることになる私生児のハリエット・スミス。彼女のお父さんは誰だかわからないんだけど、エマをはじめ、周りの人はそれについて特に差別したり嫌悪したりということはない。ヴィクトリア時代だったらそこがもっとマイナスに描写されていたかもしれない。

オースティンが小説を書き始めたきっかけは、当時出回っていた小説が、やたらドラマチックでうんざりするものばかりだったので、「よし、それをいじってやれ」といことだったらしい。だから初期の習作は、そういった小説でありがちなキャラクターをカリカチュア化して描いたギャグ作品が多く、またその後の作品でもそういった雰囲気は持続している。

イギリスの階級問題について。オースティンは「自分の知ってることしか書かない」がポリシーだったので、オースティン作品に登場するのはもっぱら中産階級。貴族でもなく労働者階級でもないんだけど、地主とか牧師とか知的職業とか。日本とは違う社会なのに、この階級意識の中で悲喜劇が起こるのが、なぜか日本人の私にも「あーいるいるそういう人」と面白く読めてしまう。例えば、中産階級にいても、成り上がってそこに仲間入りした人のように地位が不安定な場合、見栄を張ったり他の人を見下したりという行動を取ることが多いとかね。

それから、オースティンがいかに英語圏で愛されているかも知ることができた。本国イギリスでは当初「ジェイナイト」と呼ばれるオースティンファンの紳士たちがいて、「俺のジェーン」とばかりに、オタク的に内輪でオースティンのユーモアなんかを愛でていたんだって。その後、伝記の発売やリバイバルでより一般的に人気は広がり、現在のジェイナイトは女性が多く、オースティン作品の登場人物をコスプレして集まって楽しんだりしているそう。アメリカでのジェイナイトは「古き好きイギリス」への憧れなんかも混ざっていると解説されていました。