「わかってきました。科学の急所」感想

図書館から借りてきた本の返却期限が近くなってきたが、どうも読むまでに至らなかった。
返しに行ったら、途中で、第三木曜は図書館の休館日なことに気づいた。
心は「次はなに借りようかなー」という方向に向かっていたのでがっかりしたが、もしかしてこれは「この本を読め」ということだろうかと、エクセルシオールに入って腰をすえて読み出したら、とても面白かった。

わかってきました。科学の急所

わかってきました。科学の急所

赤瀬川原平は昔から好きで、最近のヒット作「老人力」関係とカメラ関係以外は読み尽くしたかと思ってたら、読んでいない本はまだまだたくさんあった。

「わかってきました。科学の急所」の中でおもしろかったところをいくつか抜粋すると、
「植物は人間や動物にとっては空間的な存在として、逆に、人間や動物は植物にとっては時間的な存在として共存し、自然の秩序を創っている」(「植物人間のような植物」より)
虫、猿、蛇たちからすると一本の大木は生活の場そのもので、大木側から見たそれらの動物たちは、周りで無数に生まれたり死んだりを繰り返す、雨や雪や空気のようなものである。というもの。

それから面白かったのは、「第三章 人間の心とアヤ」の「催眠の不思議体験」という著者の催眠療法レポートに書いてあった、「やはり催眠はぼくにはムリである。これはカラオケだなと思った。」というところ。

催眠というのは魔法のように自動的に誰にでもかかるものではなく、催眠にかかる方との相互協力だという。催眠イコールカラオケっていうのは、とてもうまくたとえていると思った。

ステージやエコーでお膳立てしてあると「そおお?じゃあ」とノリノリで歌ってすっきり発散する人と、カラオケボックスの小さな部屋で皆して一心不乱に次の曲を探してたり、盛り上がれと強制されてるようなムード、誰も見ちゃいないのに酔いしれて歌う姿・・・というのを冷静に観察できちゃう人、催眠のかかる人、そうでない人の違いもこんな感じなのではないだろうか。

本書の中で、「すごく素直に催眠にかかる人」のモデルケースを見せてもらう、というところで、積極的に催眠にかかる中年の女性の感想を「先のカラオケの譬えでいうと、よほどカラオケが好きなのだ。マイクを持ったとたんに艶歌の世界」と書いてあったのも好き(笑)