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「こうあるべき」で視点が固まっていると、ウルトラCの閃きを掴めなくなる

例えば、「お金を手に入れる」という言葉からどんなことを思い浮かべるか。
雇ってもらうか。その場合は正社員になるべく就職活動をするか、バイトを探すか、誰かに紹介してもらうか。
何かを売るか。手持ちのものを売るのか、商材を仕入れて売るか。
労働を介さずお金を手に入れるか。キャッシングするか、人から借りるか、人からもらうか。
…こういう労働観というか、金銭観、思い込みで人生コースは異なってくるんだろうなあ。

選択の積み重ねで人生は進んでいく。
人は自分の持つ「思い込み」を基準に物事を選択する。

私はこういう「思い込み」から自由になりたい。…自由というとちょっと違うかな。

選択するときや問題解決したい時って、「思い込み」すなわち慣れ親しんだ考え方が全てだと思いがちじゃない?そういうときに、そこから解き放たれたいろんな視点から問題を眺められるようになりたい。

私が「労働とはこうあるべき」「家族とはこうあるべき」みたい思い込みのを敬遠する理由はそこにあるんだと気がついた。何か問題解決が必要になったときに「こうあるべき」で視点が固まっていると、ウルトラCの閃きを掴めなくなる。

ウルトラCまではいかなくとも、ちょっと視点をずらせばくっきり見えるものが見えなくなってしまう。
映画やドラマで登場人物が困ってるときに、物語の外にいる私達には「ああっ、これをこうすればいいのに!」と解決方法が見えたりするじゃないですか。

でも「こうあるべき」というのは、たぶん人間の習性だろうからある程度は仕方ないか。
じゃあ、「こうあるべき」があってもいいけど、他の価値観が入り込めるスキとか、「それは相対的なものなんだ」と自覚しておくこととか。そこを気をつけておくこと。

私の読書の楽しみの一つに、「いまの常識や価値観を相対化できる」ということがある。
なので、歴史ものとか外国事情なんかは割と好き。岡田斗司夫さんの話が好きなのもこの理由が大きいんだろうな。