善と偽善の違いは表現方法

「この行いは善か偽善か」
どんな善行だって、結局は自己満足の要素があるのではないだろうか…。

などと考え込んでいましたが、どうやら気にするポイントが間違っていたようです。
善か偽善かの判断を「動機」のような内面的なものに求めるのがそもそもの間違いでした。
そんな内面的なことは本人にしかわからないし、本人でさえわからないことも多いでしょう。

善か偽善かは「演出」あるいは「表現方法」の違いです。

善行が鼻につくのなら、それは動機が間違っているということではなく、「表現のやり方」が間違っている。日本人のセンスだと「これ見よがし」は嫌がられる。

例えば何か鼻に付く善行だったら、批判するよりも「もう少し日本人に好まれる奥ゆかしい演出をした方がいいですよ」とアドバイスすれば新たな展開が期待できるかもしれん。


善か偽善かの違いに「実際にどのくらい人の役に立っているか」も入ってくるかなとも思ったんだけど、なんかそれ検討しだすとキリがなさそうに思えたのでやめました。