『ひと相手の仕事はなぜ疲れるのか 感情労働の時代』感想

図書館でタイトルをみて「あ、これは借りよう」とすぐに思いました。

仕事で感じるストレスのかなりの割合が、この感情労働ではないかと思います。

本書では、感情労働に看護や介護、接客業といった、実際に人に相対する仕事をメインに取り上げられています。私の場合、オフィスの事務仕事の場で「きちんとした社会人風」を装うのでさえ息切れしてしまうんですから、ほんとダメですね。それに比べて、看護や介護の現場での感情労働は本当に壮絶だと思いました。

看護、介護、接客、それから教師なんかもそうだと思うのですが実際の労働に加えて「善良な人間」「優しい人」まで期待されるんだからキツいだろうなあ。そこへさらに、医療や教育現場の市場経済導入で、人員が削られて一人当たりの仕事がどんどん過剰になるのに、さらに顧客への感じの良さまで要求されるとは…。

実際に病院でみる看護師さんは、優しいイメージとは逆に、テキパキして気の強い感じの人が多いとききますが、それは時間や医療ミスへのプレッシャーに追い立てられているからという一面もあり、看護師さん自身も「ちゃんと患者さんに向き合えていない」と悩んでいるケースが多いようです。

本書では、感情労働をめぐるキツさへのはっきりとした解決提言は示されていないのですが(敢えて言えば、看護のようなキツい感情労働の職場ではグループミーティングの機会をまめに設けようと、感情労働の現場に市場原理主義を持ち込みすぎるなということかな)、私自身が本書を読んで考えた解決法は、まずはサービスを受ける側が「相手も人間なんだ。感謝の気持ちを示せば相手も嬉しいし、嫌な態度を取れば嫌なんだ」ということを意識することかなあ。


それから印象に残っているのは、共感脳とシステム脳の話。
共感脳は、文字そのままですが「共感することに優れる脳」で、システム脳とは「システムを理解し構築することに優れる脳」。前者は女性に多く、後者は男性に多いそうです。

だから、男女で話しているとき、女性側はただ話を聞いて共感してくれれば気がすむのに、男性側は話の矛盾点を指摘したり「それがどうかしたの」と聞き返したり、答えを与えようとしてすれ違いが起こることがしばしばあるとということ。
吉永ふみ先生の『きのう何食べた』の主人公カップルは、男性同士ですが、共感脳の高いケンジがシステム脳の強いシロさんに、友人とのグチをしゃべっていて「じゃあなんでそんなやつと友だちなんだよ」と突っ込まれて「ただ話を聞いて欲しいだけなのにー」と泣きべそをかくシーンがありました。これなんかはまさに共感脳とシステム脳の行き違いの例ですね。

ひと相手の仕事はなぜ疲れるのか―感情労働の時代

ひと相手の仕事はなぜ疲れるのか―感情労働の時代