国際自意識過剰

昨日の「自意識過剰国民」の続きです。

日本人(特に女性)が外国でレイプされ殺害された場合、被害者への同情や犯人への怒りの前に、まず被害者が責められるケースが多いように思います。「海外で男性に声をかけられて軽々しくついていく被害者が悪い」「男性に声をかけられてモテてると勘違いしてる。イージーに寝られる相手としか思われていないのに」「安全意識が低い」などなど。

例えば、ルーシー・ブラックマンさんのケースが、もし逆だったら、すなわち、日本人女性が英国で被害にあったというケースだったら、おそらく「ほいほいと男性の部屋にあがりこむ方が悪い」などと言われて、被害者がとても責められていたのではと思います。

これは女性差別的な要素も含まれていますが、私が昨日思いついた「日本人は国際自意識過剰である」という推論に我田引水してみると、「日本人はこんな犯罪に合うようなスキだらけで頭の悪い国民と思われたくない」みたいな、「日本人は頭のよい立派な民族であると思われたい」願望の足を引っ張られるからではないかと推論を立ててみました。

というのも、外国で日本人がはしゃいだり何かかっこ悪いことをしたという話題の中で「日本人の恥さらしだ」と怒る光景ってわりと見覚えがありませんか?(私自身そういう感情におぼえがあります)

その「かっこ悪いことをした日本人」と怒っている人とは、同じ日本人というくくりで一緒なだけで基本的に赤の他人。よくよく考えてみたら、そんなに感情的になる必要もないのかもしれません。
(…もっとも、犯罪集団などに「日本人が狙われやすい」と思われると、日本人全体がターゲットにされるからという実利的な理由もあるそうなので、それも付け加えておきます)

こういった、外国人からよく思われたいとか、どんなふうに思われているか気にすることを、「国際自意識過剰」と名づけることにしました。

国際自意識過剰は、他の国のリサーチをしないままに勝手に日本人の特徴の一つと考えてしまっているのですが、どのあたりに源流があるんでしょうね。明治時代の「富国強兵、列強に追いつけ追い越せ」あたりかな、それとも第二次大戦に負けてからか、あるいは内田樹さんの『日本辺境論』で書かれていたように、もともと中華圏の辺境人だったコンプレックスをずっともっていたのかな。

国際自意識過剰とわかって、だから何だといったらなんでもないんですけど、個人的に最近モヤモヤしていたことがうまく(ムリヤリ?)言語化できてすっきりしました。