『クール革命―貧困・教育・独裁を解決する「ソーシャル・キュア」』

もう図書館に返却してしまったので、記憶を頼りに感想を書きます。

その昔、テレビでどこかのおじさんが「いじめ問題を無くすには、キムタクに『いじめはカッコ悪い』と言ってもらえばいい」と言っていました。
本書で主張していることは、簡単に言えばそういうことです。
(かっこいい若者の代表がキムタクであるところに時代を感じますね)

仲間が欲しい、仲間と仲良く付き合いたい、仲間に尊敬されたい、クールだと思われたい…こういった人間が持つ普遍的な欲求は、ブランド戦略(その商品を持つことでクールだと思われる)や新興宗教の信者集め(親密な人間関係を提供)でさんざん利用されてきました。

一方、社会を良くしようとする運動では、「正しい情報を伝えれば皆ついてきてくれる」と思いがちで、上記にあげたような人間の欲求を軽視する。実は正しいことを伝えても「そんなことわかってるよ!」と反発心を煽ってしまったり、相手に説教されてるような気分にさせてしまったりする(これは私も納得したな。両方の気持ちわかる)。だからなかなか成功しない。


本書では、こういったところを利用して成功した事例がたくさん紹介されています。
(…ところで、わたし本を読んでも未だに「ソーシャルキュア」のはっきりした定義がわかりません。この本ではこんなふうにわかりにくい造語がしばしばあって、例えば「仲間の信頼を裏切りたくないからがんばる」みたいなことも「ピア・プレッシャー」というわかりにくい言葉が使われていたりします)


なるほどと思ったのは、大学での黒人・ラテン系を対象にした微積分のクラスの話。
中国系学生の数学の学力が高く、黒人・ラテン系学生のそれが低いのは「グループ学習をしているか、一人で勉強しているか」の差なのだそう。だから、大学で、黒人・ラテン系学生を集めてグループ学習をさせたら学力がぐんぐん上昇した。

なぜグループ学習が良いのかというと、自分の学力がどの程度なのかとか、複数の仲間がいることで問題が解けなかった場合、問題が難しすぎるのか自分の能力が低くて解けないのかがわかる。複数いることが物差しになるというのかな。一方、黒人・ラテン系学生のように一人で勉強していると、暗闇の中手探りで勉強しているような感じなので、自分の学力を客観的に見ることが出来ず、また「黒人・ラテン系は学力が低い」という社会的な思い込みも刷り込まれているので、問題が難しすぎて解けない場合も「きっと自分がバカだから解けないんだ」という思考になってしまうのだそう。
ちょっとこれ私自身の学生時代を思い出してしまった…。
それから、もちろん「仲間に勉強を教える」ということも、理解を深めることに役立つのだそう。


それから印象に残ったのは、ユーゴスラヴィアミロシェヴィッチを倒すことに成功したオトポール(抵抗という意味)という政治運動。ユーゴスラヴィアの末期ちょい手前の状況がまた今の日本と似てるんですよ…。ひどい独裁・恐怖政治をされているのに、若者には「政治は汚い」「政治はかっこ悪い」という意識が蔓延し、国民も無気力状態。チトー政権のときに作られた平和な社会があっさりとなくなり、ミロシェヴィッチの独裁・恐怖政治が始まる。といっても、ターゲットが一部の民族だったり一部の抵抗勢力だったりするので、中の人(国民)には見えにくかったみたい。

オトポールは、シンプルでセンスのいいシンボルマークとロゴを考案して、ステッカーを大量に配ったり、この国で嫌われがちな政治演説やデモをやめて、政治を風刺するパフォーマンスをしたり、ブランドイメージとかマーケティングとかをよく考えた運動だったそうです。
…とはいっても、本当に国民に危機意識が行き渡ってオトポールへの共感が広がったのは、戦争が泥沼化して多くの人が実際に痛い目にあってからだったようです。人の心ってなかなか難しいですね。


この本を読むと、世の親が「付き合う友だちは選びなさい」みたいなことを言い出す気持ちがちょっとわかってくる気がします…。人間は単独で自立した価値観を持って生きているようでいて、実は周囲との化学反応でできているんだなと改めて思いました。