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読書『猫の大虐殺』

猫の大虐殺 (岩波現代文庫)

猫の大虐殺 (岩波現代文庫)

猫好きからするとショッキングなタイトルですが、内容は18世紀フランスの社会史です。


内容を紹介するために目次を引用します。

農民は民話をとおして告げ口する
マザー・グースの意味−

労働者の叛乱
−サン・セヴラン街の猫の大虐殺−

読者がルソーに応える
−ロマンティックな多感性の形成−

フランス革命はなぜ革命的だったのか

おもしろくてグイグイ読んでしまった。
いま最終章のはじめのところを読んでいます。

どのようなところが面白いのか。
私はとにかく、違う時代の人、外国の人、そういった異質な時間と空間にいる人たちの暮らしぶりや考えていることがイキイキと感じられることが好きなんだと思います。
だから18世紀フランスに生きた人たちのそれが感じられるこの本が面白いと感じました。

いまの時点で一番印象に残っているのは、読んだ記憶がまだ強いからかな、第三章の「読者がルソーに応える」のところです。

この辺りの歴史や思想史はよく知らないのですが、ルソーの提唱した良識は、私が子どもの頃に習ったそれと共通していると思いました。

例えば本の読み方。
「文学が生活に吸収されるほど徹底的に書物を消化すること」
私自身も、本は冊数をこなすよりも、「1冊1冊をじっくり読んで消化し、実生活にフィードバックさせること」というのを良しとしていて、もともとは子どもの頃にそういった読み方をしたら褒められた(同じ本を何度も読むのを褒められた)ところから来ているものです。

ルソーが提唱している読書の逆に位置する読み方としては、素直にテクストを読むのではなくひけらかすための知識を蓄えるための読書とか、批評家的に斜に構えた態度で読む態度のようです。
(読書初心者の頃は、ルソーが提唱するような素直な読み方をしていた私ですが「世の中には真に受けるべき本ばかりではない」と気がついてから、斜に構えて読むこともするようになりました)

他にも、子どもは善なるもので躾けるよりもともとある美点を伸ばそう、という考え方など、ルソーの考え方は、現代の道徳というか良識のベースの一つになっているんですね。もちろん、今の私は子どもは善であるという考えに異論はありますが、まずは「子どもは善である」という基本があって、そこから「実はそうでもない」という異論が生まれる感じです。


この章の中で、『新エロイーズ』というルソーの小説にヨーロッパ各地から寄せられた読者の熱烈な感想が延々と紹介されるのですが、それもまた面白かったです。
みんな「あれほど心地よい涙を流したことはありません」とか「あまりにも激しくむせび泣いてしまったので風邪が治ってしまった」とか、おしなべて、物語に感動して泣いた、そしてそれが嬉しいという内容。
現代日本人がやたらと「泣ける映画」を求めたり、泣ける映画を見て泣けたと満足する心理と似たようなものなのかなと思いました。
本書の作者は『新エロイーズ』は退屈で感傷的で長いので現代人には読むに耐えないと言っていましたが、ここまでくるとどんな話なんだとちょっと気になりますね。


そうそう、気になるタイトルの猫の虐殺事件なのですが、たしかにそういった事件から、当時の職人と親方階層の格差や猫という動物のシンボリックな意味合いが書かれているのですが、猫好きの人がぎょっとするような露骨でかわいそうな描写はありません。
ただ、私はそれでもそこの章には長居せず、さらさらーっと流し読みしてしまいました。