映画鑑賞『レ・ミゼラブル』 死にゆく人と生き残る人たちの差は?

3時間近くある大作ですが、ストーリーは大量の涙とハラハラ感と時々の笑いを掻き立てながらあっという間にラストまで駆け抜けていきます。
途中で飽きるなんてことはまずないでしょう。

これだけ有名な作品ですから、ここであらすじを紹介する必要はないですかね…?

ただ、私自身は実は今回映画を観ることで初めてこんな内容だったんだとわかりました。
「神父の恩を仇で返したジャン・バルジャンだったが、神父はその罪を咎めるどころかさらに施しを与える。改心するジャン・バルジャン…」というところまでは何か本で読んだ記憶があるのですが、あの「レ・ミゼラブル」のロゴ絵の子どもは誰なんだろうとか、なんで革命っぽい話が出てくるんだろうとか、そこらへんのナゾだったところがちゃんと整理されました(笑)

私が印象に残っている登場人物はエポニーヌです。
マリウスという身分違いの青年に恋をしている娘で、自分には全く振り向いてくれない彼だと痛いほどわかっているのに助けずにはいられない、マリウスの心を占めているのはコゼットだとわかっているのに彼を思うあまり恋の手助けまでしてしまう、彼が手を取ってくれたり微笑みかけてくれたりすると嬉しくてたまらない。
雨の中でソロで歌うシーンとかすごく良かったな。
有名豪華キャストが揃う中、エポニーヌ役の女優さんは見たことがない人でしたが、このようにソロで歌うシーンがあったり、最後の「民衆の歌」を皆で歌うシーンでも長く映っていたり重要な役のようでした。
(あと好きなキャラクターはガヴローシュとジュベール

このお話で生き残るのはマリウスとコゼット、そして宿屋のテナルディエ夫婦。


テナルディエ夫婦は、悪いピエロみたいな役割で、他の登場人物たちのような使命感や愛といった高潔な意識とは無縁。色々な所にちょろちょろ顔を出しては、騒ぎに乗じて人のお金や持ち物をかすめとるような人たちです。

そしてマリウスとコゼット。

マリウスは裕福な家の子息であるにもかかわらず、腐った世の中に革命を起こそうと学生仲間と活動をしています。ジャン・バルジャンに助けられて、蜂起の日を生き延びることができましたが、仲間を全て失ってしまう。けれど、その後コゼットと結婚して、あっさりと元の御曹司生活に戻ってしまうんですよね。

コゼットは、フォンティーヌの娘で、母が死んでしまったために、ジャン・バルジャンに引き取られて大事に守られて育つ女の子です。逃亡の日々や、父に秘密がありそうなことなどに悩みはするものの基本的にはジャン・バルジャンやマリウスという常に誰かの庇護にいて苦しみに直面することから守られている。そして、同時代に生きるメインキャラクターの中で唯一、蜂起の日とは無縁です。

死んでいった人たちが、皆、必死になっても守りたいものがあったり、譲れない信念があったりしていることと比べると、生き延びた人たちはそこまで突き詰めて考えない安易さがある、もしかしたらそういう対比があるのかなと思いました。
一つ前の記事で映画「ミナ」のことを書いたとき、死んでしまうミナが頑固で非妥協的であることに対して、幸せをつかんでいくエテルは安易で俗物なキャラクターだと書きましたが、やっぱりこういう方が幸せに生きられるんじゃないのかな。理想のハードルが低いとか、適当に現実と折り合いをつけて生きられるというか。

こんなふうに、「筋を通すこと」とか「正義」とか、やっぱりそこまで深く考えないほうが生き残れるんじゃないのか、なんてことを思いました。そして、それでいいんだとも。(レ・ミゼラブルの中では、死んで神の下に行ったほうがむしろ幸せという描き方もしています)


ただ、私は正義や理念にはこだわらないけど、愛するものとか守るべきものには必死になってしまうと思います。
レ・ミゼラブルの中では、コゼットを守るために必死だったフォンテーヌは早く死に、エポリーヌを平気で見捨てるテナルディエ夫婦は生き残る、という対比がありました)