リベラルは教育の賜物

リベラルを類語時点で確認すると、「進歩的 ・ 開明的 ・ 自由主義的 ・ 寛容な ・ 寛大な ・ 大様な ・ 開放的な(校風) ・ (子供の)自由を尊重する ・ 人格を重んじる」。

私のイメージでは人権を尊重するとか、多様性を認めるとか、弱者の権利が補償されることの必要性を理解することとか、そんな感じです。

ただ、ホモサピエンスの自然な状態だと、こういう考え方にはなかなか至らないと思います。

本能のままに生きていたら、たぶん異質なものは排除したくなるし、自分と直接関係のない地人の権利なんか知るか、ってなるんじゃないかな。

私自身は「自然や本能に従っていれば良い方向に導かれる」信仰があるので、そう言いながらもちょっと抵抗を感じています…。あと、人間が獣状態であることの悪口を言うと、動物を貶すような感じにもなっちゃうかなあ、とか。考えすぎか笑

リベラルな考え方をする、自分と関係のない他者、そして弱者の人権を保障する必要性を理解することって、自然なままの状態ではなかなか難しいことなのではと考えています。それを認めるのって、ちょっと人工的に頭を使わなきゃいけないんですよね。


これは誰かを観察してというよりも、何より自分自身の今までを振り返って実感していることを書いてます。

昔は「生活保護もらってる人はわかりやすい清貧じゃなきゃいけない、パチンコとかしてだらしなく暮らしてるなんてけしからん!」と思ってたし、「ここは日本なんだから文句言うなら出てけ」という考え方にも抵抗がなかった(何かむかついたときにはそういう考え方をしてた…さすがに外に出すことはなかったけど)。

そして、大人になってだいぶたってから、リベラルな考え方が結局は私を含めて皆に利することになるんだと、徐々に理解できるようになってきました。

ここ最近、リベラルな言説は、「いい人ぶってる」「キレイ事」「頭でっかち」「観念的」「そういうことを言える自分に酔ってるだけ」なんていう批判を受けてだいぶ旗色が悪いようです。一方、反リベラルな言説の方がウケがいいように見えます。

私自身、過去の反リベラルだった頃の記憶というのかな、思考回路の残骸は残ってるから、そういうふうに批判されてしまうのもなんとなくわかる気がします。なので、自分でもそのあたりがコンプレックスというか、なんて説明したらいいのかよくわからず引っかかっていました。

でも今回、「リベラルは教育の賜物」で、後天的に補わないとなかなか身につかない人工的な考え方なんだ、だから、観念的で頭でっかちになるのも仕方ないんだ、ということに気づいて、そのあたりのひっかかりが解消されました。
(開き直ってはいけませんけれどね)


※「リベラルは教育の賜物」は、すごく明確に言語化されてるな、と感銘して今回使わさせていただきました。ありがとうございます。