瞑想日記15 一時的にマントラを変えてみた

昨晩の瞑想は眠かったのでお休み。
今朝の瞑想も最後の方で眠くなってしまった。
吐く呼吸をした後に少しの間無になった時が3回ほどあった。
雑誌の編集をしてるイメージが出てきた。

こんなふうに、瞑想中に、夢を見ているくらいのリアリティでイメージが浮かぶ。

瞑想で五感の多くを休ませているから、その分イメージの存在が濃くなるのだろうか。

宝彩さんの本では、瞑想をしていると色々な考え事や案件が浮かぶのでそれを棚上げする、ということなんだけど、私の場合はこのように、夢を見ているようなリアルなイメージがよく浮かぶ。
宝彩さんによれば、瞑想は本来は夢で行う頭の整理を、瞑想の中で前倒して行うというから、まあこれでいいのかな。

ただ、このイメージが好き勝手に膨らんで行き、リアルさを濃くして私をイメージの世界に連れて行ってしまうので、マントラを「自分でいる」という言葉に変えてみることにした。

マントラは何か平坦な音を発音することで、瞑想の意識に碇を降ろす働きをする。
なので、本来は意味のある言葉をマントラにはしないらしいんだけど、一時的にこの「自分でいる」という言葉に変えてみることにした。うん、まあまあよかったんじゃないかな。「自分でいる」とういのは「いま、ここに意識を置く」と同じような意味で、他にもいろいろ言い換える言葉はあるんだけど、その中でも一番自分自身に碇を降ろせそうな言葉にしてみた。