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『スプートニクの恋人』読んだ

ラストシーンを読み終わった時の私の一言。

「…良かったですね…」

なので詳細は言わないけどハッピーエンドはハッピーエンドだよ。
いや別にそんな穿った言い方をしなくともハッピーエンドです。
ただ、ハッピーエンドになったとしてあっち方面は大丈夫なんかなとかセクシャリティの問題とかはどうなっていくのかとかまだまだ未解決問題が含まれてそうなのでそんな言い方をしました。まあ、そもそもそれが本当にリアル世界でのことなのかという疑問もあるんだけれど。

たぶん本書を村上春樹作品の一作目に選んでいたら他の作品にまでたどり着かなかったかもしれない。私が今まで読んだ中では、村上作品のクセのある言い回し具合が一番すごかった。エーゲ海に浮かぶ島とかアルファロメオの車とか表参道のレストランとかシャレオツな単語がきらびやかに舞っている文章は、例えば延々と蟹工船の中で物語が進むよりは確かに読んでいて気持ちは華やぐけれど、なんとなくバブル期の雑誌を読んでいるみたいな気恥ずかしさがあった。

物語としてそれなりに「次はどうなるのかな」と引っ張られて最後まで読んだけど、気持ちはほとんど揺さぶられなかったのは、文章の気恥ずかしさがノイズになって気になってしまったからかな。それが作品にいまいち寄り添えなかったところなのかもしれない。

けれどももちろんそれだけではなく、読んでいて良かったところもあります。

まず、この本の最初の方を見て「おっ、これは読んでみようかな」と惹かれたところが、「すみれ」が「職業的作家になるために文字通り悪戦苦闘していた」というところ。自分の中に書くべきことがたくさんあって溢れ出てくるんだけどそれを作品としてまとめることができない。壮大な作品を書こうとしてしまうこと、なんていうところに好感を抱いた。もっともっと縮小した感じのことなら私にも覚えがある。

次はこれ。
すみれが幼いころに亡くなってしまった母について父親に聞いたときにそっけない答えが返ってきてきたときの様子を主人公が語っている所
「彼はそのとき幼い娘の心に深く残る何かを語るべきだったのだ。彼女がそれを熱源にして、自らを温めていくことができる滋養あふれた言葉を」
「これから自分を温める熱源になる言葉を求める(求められる)」ってあるなあ。これは心にちゃんと留めておきたい。

そしてこれ、記号と象徴の違い。
天皇は日本国の象徴だ。しかしそれは天皇と日本国とが等価であることを意味するのではない」
「つまり矢印は一方通行なんだ。天皇は日本国の象徴であるけれど、日本国は天皇の象徴ではない」
「しかし、たとえばこれが、<天皇は日本国の記号である>と書いてあったとすれば、その二つは等価であるということになる。つまり我々が日本国というとき、それはすなわち天皇を意味するし、我々が天皇というとき、それはすなわち日本国を意味するんだ。さらに言えば、両者は交換可能ということになる。a=bであるというのは、b=aであるというのと同じなんだ。簡単にいえば、それが記号の意味だ」
これは勉強になりました!