『世界の英語を歩く』日本人ぽい英語をしゃべればいい

 

世界の英語を歩く (集英社新書)

世界の英語を歩く (集英社新書)

 

誰のどの本からの言葉だったか忘れてしまったけれど「日本人がどれだけ一生懸命英語を勉強しても結局、帰国子女には適わない」というのを覚えている。ただ、その後に「だから英語を勉強してもムダ」と続いていたのか、それとも「だから完璧な英語なんて求めないで割り切って学習しよう」と続くかで、この言葉が大きく違ってくるのだけれど、ネガティブさを伴った記憶なので、おそらく前者ではなかったかと思う。 

本書は、そんな「英国人、米国人のように喋る英語が一番エラい」という思い込みがいかに愚かと気づかせてくれる。私自身も、いまでこそこのような本を読んできたおかげで「正統的な英語ほど優れている、ピジン英語は劣った言葉だ」なんて思わなくなったけど、以前はそうだと思っていた。

本書でなるほどと思ったのは「そもそも英国英語と米国英語では違っている点がたくさんあるじゃないか。それは英国の言葉だった英語が米国で独自の発展をしたから。ならシンガポールで独自に発展したシングリッシュだってアリじゃないか」という趣旨のこと。たしかにそうだよねえ。

言葉は生き物だから、英語がその土地、その文化圏の人々に普及していくということは、必ずその文化圏独自の使い方や言い回しが現れることとセットになるのだ。

シンガポールやマレーシアで英語が行き渡った要因の一つとして、もともと一つの国に様々な言語が飛び交っていたので、みんなを束ねる共通語として英語が便利になるからということらしい。まあ、シンガポールについてはかなり強引に英語公用語化されたようだけど。あと、フィリピンも地域によって話す言葉がかなり違うので、共通語として英語がちょうど良かったと聞いたな。

日本だとマレーシアやシンガポールでの英語の役割を標準語が行っていて、これで日本全体がほぼ完璧にカバーできちゃったから、共通語としての英語が入り込む余地がなくなっちゃったんだろうな。