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『愚か者、中国をゆく』 旅人の欺瞞

 

愚か者、中国をゆく (光文社新書)

愚か者、中国をゆく (光文社新書)

 

ある時期から紀行本界は、以前のように旅の武勇伝を喧伝するものから、バッグパッカー的な価値観を反省するものが多くなってきたような気がします。日本の旅文化が成熟してきたからかなと考えていますが、もしかしたら単純に私がそういった本を選んでいるだけかもしれません。

というわけで、こちらの本は後者に属します。話の中心になる旅とは、著者の星野さんが香港に留学していた1980年代に、留学生仲間のアメリカ人マイケルとウイグルまでの鉄道旅行です。

80年代の中国を旅する大変さは小田空さんの本で触れられていましたが、こちらはその壮絶さがよりリアルに追体験できます。もうすごいんですよ!切符を手に入れるためにものすごい長蛇の列に並んでやっと自分の番が来たと思ったら「ない」の一言で追い返され、翌日もあるのかないのかわからない切符のために並ばなくてはいけないとか、電車に乗れたら乗れたで、それが硬座という手に入りやすい座席だったら、人がありったけ押し込まれたぎゅうぎゅう詰め状態。もちろん汚さもすさまじい。そんな車内で一晩すごすのですが、車内販売も通れないから食事もできない、ちょっとでも席をはずすと他の人が座ってしまうので(一応指定席らしいのですが)トイレにもいけないというキツさ。ちなみに星野さんたちはどうにも我慢できずにトイレに行くと、案の定、座席に幼児を連れた老夫婦が疲れきった様子で席を占領していて、星野さんたちも体力の限界まで来ていたので、その人たちをどかすという精神的にかなり参りそうな体験をします(無事に座れた後も、周囲から「こんな気の毒な人たちをどかすなんてなんて酷い奴らだ」という非難を浴び続けて針のむしろ状態です)。人間、体力的、物質的にキツいとこれだけ殺伐としてしまうものなのですね…。

でも星野さんのすごいところは、このような体験談を「とんでもない環境だった」「中国人は横入りしたり人を押しのけたりしてけしからん」で終わらせないところです。

旅行者と、切実に移動したい状況にある現地の人とはワケが違う。「旅行」「冒険」という贅沢な理由で電車に乗り込んだ旅行者が、現地の人が必死の形相で席を取ったり人を押しのけたりする様をみて怒ったり嘲笑するのは傲慢なのではないか、ということ。このあたり、先日読んだ小田空さんの本にも書かれていたことですが、とても共感しました。旅人の欺瞞に意識的です(ただ、星野さんがそういった「贅沢な」冒険をしてくれたおかげで私も「そうか、そういうものの見方があるのか」と学べました)。中国はなぜこのような状況だったのか、中国人はなぜこのような行動をしていたのか、ということも考察されています。もちろん、それが正解という態度ではなく、あくまで「私自身がこう思った」ということを前提とされています。

それから、旅をしていく上での認識の変化や気持ちの動きを掘り下げて誠実に書こうとしているのもこちらの本の特長です。例えば、切符一つ買うのにも大変な思いをしていると、そのうちに切符を手に入れて座席を確保することが最大の関心ごとになってしまい、当初の目的だった観光に気持ちがいかなくなってしまったり、素晴らしい景色を見ても次の切符のことで頭がいっぱいになって感動が半減してしまうとか、そんなふうに徐々に気持ちが変化していく様が丁寧に書かれていました。

本書に書かれている人との交流エピソードは、心温まるようなほろ苦いような。それは自分の物語に都合よく人を配置していくことをせず、相手の人生を思いやっているからではないかな。旅のパートナーであるマイケルとの関係も面白いんですよ。異性同士なんだけど恋愛気は全くありません。疲労から関係が悪くなるとか、意地を張り合うとか、言いだしっぺというか選択した側が責任をとらなきゃいけないプレッシャーとか、ああこれ友達同士の旅行あるあるでもあるなあと思いました。

タイトルの「愚か者」は、読んでいくと「ああ、これか」とわかります。