『社会運動の戸惑い』恐ろしいバックラッシャーvs怖いフェミニスト

 

社会運動の戸惑い: フェミニズムの「失われた時代」と草の根保守運動

社会運動の戸惑い: フェミニズムの「失われた時代」と草の根保守運動

 

 私が物心ついたときには既に男女平等という理念があり(こういう言葉はすぐに変化してしまうので、今はまた別の呼び方になってるのかな)男女差別は既に過去のもので、だから私はてっきり今後は男女平等に向かって動いていくのだろうと無邪気に考えてしまっていた。でもそうじゃなかったんだな。日本国憲法の文章のようだけど、私たちが不断努力によってこれを保持しなければならないんだな。女性の権利にしろ、平和でいることにしろ、最近こういうことに直面させられることが多い。まあ、どちらも背後にいるのは本書で取材されているような保守の人たちなんだけども。

私は著者の山口智美さんを以前からtwitterでフォローしていて、よくそういった怖い保守系団体の集会などに出かけていてすごい勇気のある方だなと思っていた。本書によるとやっぱり最初はそういう人と会うのは怖かったそう。ところが、そのお相手の人たちも実は「おっかないフェミニストが来て大批判されるんじゃないか」と戦々恐々としていた。

本書の取材を受けた保守の人たちは、攻撃的な文章の印象とは違い、穏やかで「いいおっちゃん」みたいなケースが多い。まあ、取材を受ける時点で振り分けられているのではないかな…とも思うんだけど。で、フェミニストたちによる男女平等、ジェンダーフリーの活動が、自分たちのなじんできた世界が壊されるという危機感から運動をはじめた。その中のどぎつい表現は多くの人の注目を集める戦略とのこと。なんかわかるわー考え方は決定的に違うんだけど、直に接するとやさしくていいおっちゃん、みたいな人ってたくさんいるものね。まあ、リベラルな考えを標榜していても人間的には本当に嫌な奴というケースもたびたび目にするから、どんな思想を持つかと、人間的にいい人かどうかはまた別なんだろうね。

そして、この人たちは奥さんも働く共働き家庭であることも多く、必ずしも彼らが主張している生き方を実現しているわけではない。これは、それだけ保守が理想とする家族のあり方が絵に描いた餅化していて実際の社会にそぐわないモデルとなってきている証拠なのかもしれない。

それから、今回本書で取材されている保守運動をしている人たちによく見られる共通点が、お母さんがシングルマザーなこと。だからどうしても「自分の母親は大変な時代の中、苦労して子どもを育て上げた。そういう姿を見ていると、女性の権利なんて甘ったれている」という気持ちが強くなってしまうのだとか。

今まで保守の定義ってよくわからなかったんだけど、本書を読んだところでは、個人的な実感を社会一般に当てはめてしまい、多様性を認めない、マイノリティに対して不寛容な考え方なのだなと思った。だから他者に対して想像力を働かせずに自らの実感を頼りにすると保守的な考え方というのはなじみやすい。ただそこに甘んじていると、少数派や虐げられている人に地獄の人生を送らせる世の中になってしまう。

ちなみに保守の運動家や論客は女性も多数いるけれど、なかなか取材できるまでに至らなかったそうです。

なにげに食べ物がたくさん登場するのが読んでいて楽しかった。やっぱり緊張感のある相手と打ち解けるには食べ物を介在させるのが一番なんだろうな。日本時事評論の人たちがしているバーベキューパーティとか私も行きたくなってしまいました笑

当記事には書ききれなかったけど、ネットで積極的に言説を広げていった保守の人たちに対しての、フェミニストたちの貧しいネット状況など興味深い指摘が他にも多くあります。(SNSの興隆でフェミニズムが元気になってきたように思うけど、どうなんでしょうかね。私自身もtwitterでお見かけするフェミニストの人たちの意見で目が開かされた感じがしてますし)