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『1984年』をポジティブに読む

ネタバレする予定だからまだ読んでない人はこれ以上読まないで!

 

 

 

 

というわけで読み終わりました『1984年』…。

悲しい最後でした。ウィンストンとジュリアが逮捕されるときって、まだまだページが余ってる半分をちょっと過ぎたあたりなんだよ。だから、残りのページでまだまだ何か良い展開があるんじゃないかとか、ほらブラザー同盟がいるじゃん!とか思っちゃうんだけど、実は、そのときの残りのページの大部分は「ニュースピークの諸原理」って変な論文みたいなやつなんだよ!だから逮捕後は読者である私たちが恐れていた展開なんだよ…(涙)

で、そんな物語のどこの何をポジティブに読むのか。

それは、この本は、権力が人の人間性をいかに破壊して支配下に置くかのテンプレみたいな内容なので、逆にどうすればそれを防げるかが学べるのではないかと思ったんです。例えば、そうだなあ…印象に残っているのが、主人公ウィンストンの公務員仲間(本当は公務員は行政で、党は政党の党だから、党員を公務員と表現するのはおかしいんだけど、この物語世界では三権分立などしてないので、党員だけど公務員というか官僚的な仕事をしている)の辞書を作ってる人が、辞書からどんどん言葉を削っていくのね。なんでそんなことしてるかというと、言葉を少なくすることで人間の思考の幅が狭まるからなんだって。これなんかは逆に、語彙を豊かに持つことが思考の幅が広がるということだよね。だから語彙を豊かに持つぞーってことが一つ。

次は、字面と意味を一致させること。論語の「名正しからざれば則ち言順わず」みたいなことなんだけど、「1984年」の中では、「愛情省」が拷問をする省庁、「真理省」が歴史を改ざんする省庁…というふうに、言葉が本来の意味と真逆になっちゃってるの。なっちゃってるというかわざとそうしてるんだよね。

それから歴史を改ざんさせないこと。「1984年」の中では、権力の発言が常に正しくあるために、過去の間違った発言とか現在の政策と辻褄の合わない発言の記録をどんどん改ざんしちゃうんだよね。だから「なんかおかしい」みたいなことがあっても過去の記録を見て確かめるということができないの。だから「おかしいのは自分の勘違いじゃないのか」ってなっちゃう。これなんかは今の日本でも思い当たることがあってぞっとしてしまった…。もちろんこの物語世界ほど酷くないけど、っていうか酷くないからあー安心という話じゃないよねこれ。少しでも歴史を改ざんする動きがあったら手遅れにならないうちになんとかしとかないと。

あとは、「これおかしいんじゃないか」みたいな直感がけっこう大事なんじゃないかということ。「1984年」のウィンストンはこれで酷い目にあうんだけど、まああの世界じゃ逮捕されて拷問されなくても地獄か…。でもこの「おかしいんじゃないか」という素朴な直感が、頭のいい狂人にすぐに論破されてしまうというのも、ネット世界なんかでもよく見る光景ですよね。

以上、『1984年』をポジティブに読んでみました。

あと余談だけど、自分が母親になったからか『1984年』ではウィンストンの母親の思い出シーンがすごく印象に残ってる。物語の最後のほうでウィンストンが思い出す、家族の幸福な思い出もとか…。空腹とイライラで母親に八つ当たりしていたウィンストン少年に、「いい子にしたらおもちゃ買ってあげる」と、ウィンストンのお母さんが粗末なゲームをおもちゃ屋さんから買ってくるんだよ。それで一緒に遊びはじめたら、それがすごく面白くて親子でたくさん笑ってたっぷり幸せを味わった、というところ。それまでのこの家族の回想シーンが、悲惨で可哀想な感じのものばかりだから余計になんか切ない感じがしちゃうんだよねえ。不遇な妹(赤ちゃん)もゲームの意味は理解できないものの、お母さんもお兄ちゃんも笑ってるから自分も笑ってたというのも泣けた。