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『モンゴル帝国の興亡 (ちくま新書)』

 

モンゴル帝国の興亡 (ちくま新書)

モンゴル帝国の興亡 (ちくま新書)

 

 世界史の中心といえば中東とヨーロッパかと思っていたところに、突然世界史の主役に踊り出てくるモンゴル。アジアの、しかもめっちゃマイナーな地域だし。しかも主役になったと思ったらその後まったく音沙汰聞かないし。そんなモンゴル帝国がどのように繁栄し、ヨーロッパまで席捲したあとは一体どうしちゃったのか。ぜひ知りたいー!と思って本書を読み始めたのですが…途中で挫折してしまった。

モンゴル帝国の建設者、テムジン・チンギス・ハーン以前のモンゴルの記録を、唐、遼、ペルシア、金それぞれの国にあるものから載せてあって、そこで挫折した。単語が読めなくてつっかえるのと、情景がさっぱり思い描けなかった。少し引用してみると「唐の記録によると、大山の北に、大室葦部落がある。その部落は望建河(アルグン河)にそっている。その河は、源は突厥(トルコ)の東北界の倶輪泊(ホロン・ノール湖)に出て、屈曲して東に流れ、西室葦の界を経、また東に流れて…以下略」こんな感じ。これで挫折。

なので、モンゴル帝国盛衰の流れはよくわからなかったけど、ところどころ知ってよかった知識を仕入れられた。

まずこれ。

「歴史は、世界中どこにでもあるというものではない。地中海世界と、中国世界に起源があって、そのほかの地方には、それぞれ地中海型か、それとも中国型かのコピーしかない」

地中海世界では、紀元前5世紀に、地中海の一角、小アジアのハリカルナッソスに生まれた、ギリシア人とカリア人の混血のヘーロドトスという人が、前480年にペルシア王クセルクセースが、大群を率いてギリシア全土を攻めて、アテーナイの前のサラーミスの海戦で敗れて逃げ帰った事件に興味を持ち、この問題を「研究」して『ヒストリアイ』(調査研究)という書を書いたので、それが発端になって「ヒストリア」が「歴史」という意味を持つようになった」

「中国世界では、紀元前2世紀の末の前104年、前漢武帝が、この年の陰暦十一月(子の月)の朔(ついたち)が、六十干支の最初の甲子の日であり、しかもこの日の夜明けの時刻が冬至であるという、中国の暦学でいう、宇宙の原書の時間と同じ状態が到来したのに合わせて、太初という年号を建てた。このとき、太史令(宮廷秘書官長)の司馬遷らの定義によって、歴訪を改正することになり、「太初暦」が作られて、それまで年頭であった十月(亥の月)に代わって、正月(寅の月)が年頭になった。

司馬遷がこれを記念して、『史記』を書きはじめ、前97年に及んで完成した。「史」はもともと、「記録係の役人」という意味だったが、太史令の司馬遷が『史記』を書いてから、はじめて「歴史」という意味ができた」