『タモリと戦後ニッポン』

 

タモリと戦後ニッポン (講談社現代新書)
 

 おもしろかったー。

タモリのルーツから現在に至るまでを、日本の歩みと連動させて考察されています。

タモリのドライな都会志向や、田舎に象徴されるセコくてベタベタしたところを嫌うところは、タモリの両親や祖父母が一番良い時の満州にいたからではないかという考察が新鮮でした。一番良い時の満州は日本よりも生活設備や都市インフラが整っていて、社会の雰囲気も大らかで自由に生きられるという面があったそう。タモリ自身は戦後生まれで満州体験はないものの、家族から繰り返し満州の良さと日本のダメさを聞かされたことが影響しているのだろうと。

タモリが幾度かモデルチェンジというかタレントとして変容していることもわかりました。世に出始めた当初は、山下洋輔とか赤塚不二夫浅井慎平などなど、文化人のサロン内芸人みたいなとき(このときはタモリ本人も実験的なレコードづくりや面白いことをするのに熱心で読んでいて面白かった)、それからテレビに出始めのアクが強くて女性からめっちゃ嫌われていたとき、そして女性リスナーの多いラジオ番組やNHKに進出して国民的に受け入れられるとき、それから『笑っていいとも』の安定期、そして今に続く枯れた趣味人的なとき。

タモリは元々頭がよく才能がある人ではあったけれど、さらにその特質や志向が時代の流れとこんなふうにシンクロしている、みたいな考察がとても納得できました。

ただ、私の一番気になっていたところ。タモリが政治的な発言をほぼしてない、というかたぶん避けているところや、「笑っていいとも」の末期に安倍総理がゲストで来たことについては一切言及されていませんでした(同世代の鶴瓶や、タモリがファンである吉永小百合はわりと折に触れて今の政治に苦言を呈している)。政治的なこと、要するに政権というか真の権力批判は避けるけれど、権力に利用されることは受け入れてしまう。私としてはそこが逆に『タモリと戦後ニッポン』そのもののような感じがしました。現在の日本人マジョリティを象徴しているような。ココらへんはうまいこと言語化できないんだけど、それはずっと気になっていたことで。例えばタモリさん好きな人が、私のこの「タモリは政治的な発言をしていないのはなぜか」みたいなことを聞いたら「なんて無粋なことを言う奴」とムッとするでしょう?それ!それそれそれ!それは一体なんなんだろうなあって。