『ダーチャと日本の強制収容所』

 

ダーチャと日本の強制収容所

ダーチャと日本の強制収容所

 

 最近、太平洋戦争中や戦前、戦後の本をよく読んでる。つい手にとってしまう。やっぱりどこか危機感を覚えているんだろうなあ。この危機感が杞憂でありますようにと願うとともに、自分自身でもそうならないようにできるだけのことをしたい。

というわけで、本書の紹介。『ダーチャと日本の強制収容所』。ダーチャと聞くと、私なんかはロシアの菜園付き別荘のことを思い出してしまうけど、このダーチャは表紙にいるダーチャ・マライーニというイタリア人の女の子。

このダーチャ一家は、お父さんのフォスコがアイヌ研究のため札幌に行くのについていくのね。といっても、当初はフォスコとお母さんのトパーツィアとダーチャの親子三人。日本で妹のユキとトーニが生まれて5人家族になるの。

収容所に入る前の日本での生活はとても幸せそう。ダーチャはじめ子どもたちはイタリア語よりも日本語を覚え、近所の子供達と遊びまわる。フォスコはアイヌ研究とともに、在日外国人やインテリ日本人たちと知的な交友を持つ。トパーツィアは源氏物語枕草子の存在に感激し、日本文化を学ぶ。…でも読者としてはその後に過酷な収容所生活が待ち構えているのがわかっているので、なんともいえない気持ち。

で、収容所生活。私も知らなかったんだけど、日独伊三国同盟じゃん、なんでイタリア人が収容所に入れられるの??って思ってたんだけど、この同盟から途中でイタリアが抜けるのね!知らなかった!それで追い出されたファシスト政権はナチス・ドイツの傀儡国家サロ共和国を作ってたのね。ちなみにサロ共和国は連合国側からの蔑称で、自分らはイタリア社会共和国と名乗っていたそう。サロと言えば、あのパゾリーニファシズムを批判した衝撃作『ソドムの市』の原題『サロ、或いはソドムの120日』ではないですか!ここに繋がるのね。

あ、そうそう、で、収容所生活。これがまた読んでいて辛くなるのよ。ここに入れられたイタリア人たちはサロ共和国への忠誠宣言かな、それを拒否して連れてこられた人たちなのね。自らの信念で入ってきたわけで、最初は気丈に皆で連帯しているの。それが特高憲兵の過酷ないじめと飢えで崩れ、極限状態で弱い立場の子どもたちにしわ寄せが来ることが本当に辛かった。この後、解放されるという結果がわかっているから読んでいられる感じ。どうして世の多くの人は戦争が起こりそうなリスクに無頓着なんだろうか…。

そして戦争が終わり、解放、帰国。戦争が終わってもすぐに帰れるわけじゃなくて、連合軍のヘリコプターから収容所めがけて豊かな物資が投下されたり、恥知らずの特高憲兵が「自分たちに不利な証言はしないでくれ」とか投下された物資の物乞いに来たり、とりあえず連合軍から仕事をもらってしばらく日本で生活していたりと、そんな中でとうとうイタリアに向けて帰国支援する船が出るということで、「このまま日本に帰りたい…」と渋るフォスコをトパーツィアが説得して、無事、イタリアに帰ることになるんだな。

イタリアへの帰国でめでたしめでたしというわけじゃないの。悲しいことに両親は収容所生活で亀裂が入り、その後離婚。ユキは過酷な収容所での心身への傷が災いしたのか、若くして亡くなる。上の子のように戦争を理解できるには幼すぎ、末っ子のようにお母さんの腕の中にいるわけにいかない中、小さなこころと身体で恐怖を全身に受け止めなければならなかったというのが、本当にかわいそうでかわいそうで胸が締め付けられた。そしてダーチャは帰国船の中でアメリカ人の水兵から、帰国後は神父ともう一人誰か他の男から性暴力を受けてしまう。今の日本人の感覚だと「いたずら」程度だと思うかもしれないが、それを受ける子どもからしたら暴力の名に値すると思う。そしてまた別の収容所であったフィレンツェの寄宿学校での生活。

でも、このあたりから、今までの小さな女の子だったダーチャから、フェミニストの作家であるダーチャ・マライーニの存在感がぐんぐん表に出てくる。こういった経験が彼女の作品にどうつながっていくのか、ということに比重が置かれてくる。

だからね、実はこの本今さっき読み終わったんだけど、真っ先に作家であるダーチャ・マライーニとその著作を検索しちゃったものね。彼女の作品を読みたい!邦訳されていないものでも読みたいものがある!と。

実は著名な作家であったダーチャ・マライーニを知ることができて、本書の著者である望月紀子さんに感謝です。この本を見つけた時は「興味のあるテーマではあるけど、最後まで読みきれるかな…」とも思ったのですが杞憂でした。たちまち引き込まれて終わりまでぐんぐん読んでしまいました。

 

 

『タモリと戦後ニッポン』

 

タモリと戦後ニッポン (講談社現代新書)
 

 おもしろかったー。

タモリのルーツから現在に至るまでを、日本の歩みと連動させて考察されています。

タモリのドライな都会志向や、田舎に象徴されるセコくてベタベタしたところを嫌うところは、タモリの両親や祖父母が一番良い時の満州にいたからではないかという考察が新鮮でした。一番良い時の満州は日本よりも生活設備や都市インフラが整っていて、社会の雰囲気も大らかで自由に生きられるという面があったそう。タモリ自身は戦後生まれで満州体験はないものの、家族から繰り返し満州の良さと日本のダメさを聞かされたことが影響しているのだろうと。

タモリが幾度かモデルチェンジというかタレントとして変容していることもわかりました。世に出始めた当初は、山下洋輔とか赤塚不二夫浅井慎平などなど、文化人のサロン内芸人みたいなとき(このときはタモリ本人も実験的なレコードづくりや面白いことをするのに熱心で読んでいて面白かった)、それからテレビに出始めのアクが強くて女性からめっちゃ嫌われていたとき、そして女性リスナーの多いラジオ番組やNHKに進出して国民的に受け入れられるとき、それから『笑っていいとも』の安定期、そして今に続く枯れた趣味人的なとき。

タモリは元々頭がよく才能がある人ではあったけれど、さらにその特質や志向が時代の流れとこんなふうにシンクロしている、みたいな考察がとても納得できました。

ただ、私の一番気になっていたところ。タモリが政治的な発言をほぼしてない、というかたぶん避けているところや、「笑っていいとも」の末期に安倍総理がゲストで来たことについては一切言及されていませんでした(同世代の鶴瓶や、タモリがファンである吉永小百合はわりと折に触れて今の政治に苦言を呈している)。政治的なこと、要するに政権というか真の権力批判は避けるけれど、権力に利用されることは受け入れてしまう。私としてはそこが逆に『タモリと戦後ニッポン』そのもののような感じがしました。現在の日本人マジョリティを象徴しているような。ココらへんはうまいこと言語化できないんだけど、それはずっと気になっていたことで。例えばタモリさん好きな人が、私のこの「タモリは政治的な発言をしていないのはなぜか」みたいなことを聞いたら「なんて無粋なことを言う奴」とムッとするでしょう?それ!それそれそれ!それは一体なんなんだろうなあって。

モーパッサン『女の一生』

 ネタバレしているので、話の結末を知りたくない人は読まないで下さい。

女の一生 (光文社古典新訳文庫)

女の一生 (光文社古典新訳文庫)

 

いやー、思いの外面白かった!

この前読んだ『エマ』とかと時代はかぶるのかな。エマはイギリス、こちらはフランスの話なんだけど、貴族の生活ぶりとか使用人たちとの関係性とか色々と似てた。あと映画の画像を見ると女性陣の服装がエンパイアドレスというのかな、同じような感じだった(念のため検索して確かめようと”エンパイアドレス”で検索してみたら、ウェディングドレスばっかりでてきた)。

最初の方は幸せいっぱいな主人公のジャンヌなんだけど、中盤で雲行きが怪しくなって、エンディングに進むに連れてダメ人間っぷりに拍車が掛かっていくのねw色々と突っ込みどころが多くて、夫ジュリアンの浮気とかもうジャンヌが気づくまでに、いわゆるフラグ立ちまくりで、読者としては「おいっ、いい加減気づけよ!」とめちゃくちゃ突っ込みたくなりますw

ジャンヌの一人息子ポールへの溺愛ぶりも強烈で、日本人の感覚でも「ヤバイお母さん」という感じなんだから、日本よりもずっと「子どもを甘やかさない」「親子は距離と節度を持ってきちんと躾けるべし」というフランス社会では、この辺りはもっと「いっちゃってる人」感があるんだろうなあ。

でも、幼少期のポールを中心に、母(ジャンヌ)、祖父、叔母たちがキャッキャしながら子育てに奔走しているところはけっこう和めた。私自身の、両親が孫にキャッキャしているところを思い出してしまって…。

でさあ、物語中盤でフェイドアウトするジャンヌの乳姉妹であり女中のロザリーが終盤になって復活し、ダメ人間になったジャンヌを支える重要な役割を果たしに来るんだけど、これがまたイイ奴なのよ。本では「ジャンヌ様からお給料をいただくなんてとんでもないですよ」みたいにふつうの言葉なんだけど、脳内では「おら、ジャンヌ様からお給料をいただくなんてとんでもねえだ!」と勝手に変換していましたw ジャンヌが「私の人生不幸続き」とメソメソしているときに「食べるものに困って働かなければいけねえわけでも、毎朝六時に起きて一日中働くわけでもねえのに、何を仰るだ!」「子どもだって兵隊に取られる人がいるのに、お坊ちゃまが生きてるだけでもありがてえですだ!」みたいにガツンと説教するところも頼もしくていいw

やっぱり『女の一生』で光ってたのはロザリーとリゾン叔母さんだよねえ。ジャンヌのお母さんの妹である、めっちゃ存在感のないリゾン叔母さんの描写もいいんですよ~。モーパッサンもよくこんなキャラ思いついたよねw

 

 

男性著者の美容本と女性著者の美容本

最近読んだ四冊が男性著者と女性著者で、なかなかに対照的でした。

その四冊はこちら。

毎朝、自分の顔が好きになる

毎朝、自分の顔が好きになる

 

 

 

キャビンアテンダント5000人の24時間美しさが続くきれいの手抜き

キャビンアテンダント5000人の24時間美しさが続くきれいの手抜き

 

 

 

なまけ美容入門―「科学的な分析」でムダを省いたキレイの魔法

なまけ美容入門―「科学的な分析」でムダを省いたキレイの魔法

 

 

 

生まれつき美人に見せる

生まれつき美人に見せる

 

 一番上と一番下が男性著者、中二つが女性の著者。

いずれも、それぞれにお役立ち情報が載っていて良かったのですが、向くベクトルが真逆なんです。特に、男性陣が書いた本と、キャビンアテンダントの方が書いた本の違いが本当に極東と極西って感じで面白い!

だって、男性著者本の「主役は自分。メイクはあくまで素の自分をきれに見せるためのもの」なのに対して、キャビンアテンダント本は「自分に似合うかどうかでメイクを決めるな!あくまでお客様に好感を持ったもらうためのメイクなのだ!」というのだから。前者は重点を自分に起き、後者は重点を自分と他者の間に置いてるんだよね。

男性著者本の方は男性ウケとはどんなものなのかが学べる。とにかく顔がマットだったり白浮きしていたり、メイクが目立つ不自然さが嫌われる。「欠点とかブスな部分は放っといていい、それよりも自分の顔の好きな点に着目せよ」と口酸っぱく語られているのも、欠点をなんとかしようとしてメイクするのと、男性の嫌う不自然さにつながるからなんだろうなと思う。顔だけ白浮きとかまつエクとか、厚いベースメイクとか。あと、恋人や妻というパートナーとして、コンプレックスに苛まれてる人よりも、多少ブスでもおおらかな人がいいんだろうなあとか。

対してキャビンアテンダント本は自然に見えるかどうかなどは一切関係無し!とにかく「きちんとしていること」。むしろ「お客さまをおもてなしするためにきちんとメイクをしていますよ」とわかることが大切だから、リップは赤とかはっきり塗ってることがわかる色だし、アイラインを忘れても眉毛は忘れるな!という感じだし、ヘアもがっつり裏から表からスプレーで固める。自然さ=生々しさを排除したきちんとしたヘアメイクが学べます。これはこれで役に立つ!

生活者として日々忙しく暮らす中で美容もしなければいけない身としては、圧倒的に女性陣の本が良かったです。

なまけ美容入門の著者は化粧品メーカーで成分の研究をされていた経験から、ボディクリームを塗る場所は乾燥しやすい関節とヒザ下。逆に背中、胸、おなかまわり、関節の内側は皮脂腺が発達しているのでクリーム必要なし、とか、なまけるべきポイントがわかりやすくて助かります。

キャビンアテンダント本は、拘束時間が長く多忙なキャビンアテンダントが、限られた時間を最大限に使ってどんなふうに美容やメイクを行うのかがわかってとても参考になりました。

 

一度にいろんなことが来る。

締切間近の仕事をけっこう頑張りました。

あとはいろんな連絡事項とかもあって、その中で、なぜかこううまく意思疎通ができないこともあって、私の言い方で何かまずかったんだろうかとやり取りを見なおしたりして、そんな中でもお腹がどんどん内側から膨らんでいく感覚があって、お腹の中の赤ちゃんがグルグル動いていて…。

うまいこと仕事の依頼を頂けて忙しい時と、赤ちゃんがいたり妊娠している時が同時期ってなんかすごいよね。過去の人生で暇だった時期もあるんだから、運命の神様的な人はこういうチャンスを適度に散らしてほしい。とは思うものの、きっと人生こんな感じなんだろうな。

 

iPhone、財布、身分証…諸々を無くして厄落とし

お出かけ先からの帰りの電車内。車内はガラすき。優先席に親子三人で陣取り、赤ちゃんをベンチに乗せてくつろいでいたらいつのまにか駅に到着。慌ててベビーカーやら何やらひっつかんで外に出たら、私自身のバッグをさっきの座席に置きっぱなしだったことに気づく。扉は締まり、既に発車した電車。ここはとりあえず駅員さんに連絡だと、改札横の駅員さんに今降りた電車にバッグを置き忘れたことを告げる。自分では冷静に告げたつもりが、ちょいちょい間違っていて、やっぱり動揺していたのかなと。

次の駅に連絡をする駅員さん。ここで10分ほど待つように言われる。

たぶん出てくるだろうという楽天的な気持ち。10分立ったら駅員さんてこちらに身を乗り出して「お客様ーありましたー」と言ってくるはず。

 

と思っていたものの、結果は「見つからず」。まだあまり信じられないけど、駅員さんに各駅とお忘れ物センターの電話番号が載った紙を渡される。

 

「仕方ない、帰ろうか」と改札を出ようとしたものの、旦那さんが「もう一度見に行こう」と再びホームへ。いつもなら騒ぎ出しそうな赤ちゃんが意外と大人しい。

 

ホームへ来て、我々は何をするのか。旦那さん案は、次の駅(それとも終点だったっけ)に行ってみようと言う。そこへ先ほどの駅員さん登場。10分後くらいに来る電車が、私たちの乗っていた電車の折り返しだそうで、そこを探しましょうと。駅員さんは電車が来たら中を走りますと。私の意識も、バッグを無くしたことから駅員さん…ありがたいわあ、という方にシフトする。

 

一本電車をやり過ごし、いよいよ運命の電車。手付かずでいたらさっきの優先席の端っこにあるはず。だからそれをひょいっと取ってくればいい。

 

電車が来た。運命が決まる。

 

折り返しの車両がまさかの混雑!イメージしていたようなガラすきの座席に光るバッグという展開ではなさそう。とかなんとか思ってるうちに扉が開く。中に乗る。優先席の端っこを見る。ない!駅員さん走る!旦那さんも赤ちゃん抱っこしながら走る!私ももはやどこを見ていいのかわからないけど車両を移動しながら座席を見る!ない!「もう発車時間過ぎてますので」と駅員さん!降りる!閉まる!電車行く…

 

「すいません」だったかな、何か謝ってくれる駅員さんにお礼を言い、改札の駅員さんにお礼をいい、つきあってくれた旦那さんにお礼を言い、改札を出て帰途に。

 

意識の水面下の方では怒ったり誰かのせいにしたりという、事態を余計に悪くするいつもの怒りのエネルギーがあるといえばあるようなんだけど、弱い。「そう思おうとすれば思えるけど…」という程度の認識で、噴出して外に出すほどのエネルギーはない。弱い。だからわりとのほほんとした気持ちでいられる。とりあえず帰宅して、あとはパソコンでゆっくり対策を講じよう。

 

帰宅。途中、警察署に寄っていこうという旦那さんの提案を、疲れてしまったので断る。まずはPCを開き、iPhoneを無くした時の対処法を検索。iPhone探しの強い味方、位置情報サービスはオフ。位置情報サービスは電池を食うと聞いて以来、外出時はオフにしていた私。ついでに着信音量もオフにしていた。ただ、検索してみるとIOS7以降は位置情報サービスをオフにしていても大丈夫みたいなことが書かれていたので、ためしに自宅のパソコンからiPhoneを検索してみるも…PCからicloudにアクセス出来ない。認証コードがよくわからない。

自分の電話に電話してみると「電源が入っていないためかかりません」

これはもう誰かが持って行って利用する気まんまんでiPhoneの電源を切ったのか。

 

そこで、au独自の何か探索サービスがあるかと再び検索してみると、携帯電話を探索するサービスが。

www.au.com

4桁の暗証番号を入れ、位置検索サポート利用規約に同意すると…出てきた出てきた!

円で囲まれた地図の中央には、さっきカバンを無くした沿線の駅が!

さっそく電話してみると…

 

ありました!

 

ちなみにiPhoneの電源は切られていました。

駅員さんも電話に出たりするのがうざったいから切っちゃうのだろうか。お財布の中のお金も無事。きれいに折りたたまれてクリアパックに入れられていました。

『満映とわたし』岸富美子 石井妙子

満映とわたし

満映でフィルムの編集に携わっていた岸富美子さんの回想を、石井妙子さんがまとめたもの。

満映は戦前から戦時中にかけて、日本が満州に作った国策映画会社。満州は今の中国東北部あたり。

岸さんは満映を知る貴重な証言者として「当時の満映はどうだった?」「李香蘭はどうたったの?」と、重宝がられていた。石井妙子さんもそんな質問者の一人として、よく岸さんにお話を聞いていた。だけどある時、岸さんが自分の半生をまとめた手記を持参したことがあった。石井さんがそれを読んだ時に「取材者は私も含めて、岸から自分にとって必要な話だけを切り取ろうとする」「(岸さんは)切り刻まれてしまった自分をかき集めて、改めて息を吹き込みたいと願ったのではないだろうか」と、岸さんの手記の完成に携わろうと思うようになる。

それで岸さんのお話。満映については李香蘭の自伝から読んでいたけど、今度は日の当たらない裏方からの証言ということで、全く別の視点からいろいろと知ることができた。また、ただでさえ裏方なんだけど日本映画界の男尊女卑と「つべこべ言わずに監督に従え」的な文化で、ますます裏方なんだよね。満映満州の映画会社ということで、多少は日本よりもマシだったけど、やっぱりそういう文化は維持されてる。

岸さんと李香蘭は同い年なんだけど、やっぱり裏方スタッフと特権的主演女優みたいな感じで、ほぼ接触なしで、雲の上の人っていう感じ。ただ、二人に共通するのは、満映時代には政治状況をあまりわからずに無我夢中で映画製作に取り組んできて、戦後に自分たちのやってきたことに直面する体験をしてものすごくショックを受けるということ。

岸さんは、戦後も中国に残って、というか残らざるを得なくて、中国共産党北朝鮮の映画製作に携わる。そのとき編集を手がけた作品で、日本兵が中国人を虐殺するシーンがあって、手が止まってしまう。岸さんはそういうことがあったとは全く知らなかったし、戦前の教育を受けてきたので、最初は「いくらなんでも酷いんじゃない?こんなのありえないでしょ」と思っていたけど、岸さんの様子がおかしいと気づいたその作品の中国人監督に「私が体験してきたことです」と諭される。そして、実際の記録フィルムなどを見てショックを受けていくうちにもう認めるしかなくなり、今まで何も考えずに映画づくりのことだけを考えてきたけど(だから国策映画や共産党プロパガンダ映画を作ってきても何の疑問もなかった)、これからは変わりたい、ちゃんと考えて映画作りをしていきたいと思うようになる。

満映理事だった甘粕正彦について岸さんの視線は厳しい。理事長時代には日本人と中国人スタッフの格差を是正したりということもしていて、そこは岸さんも評価しているんだけど、問題は敗戦時。戦争が終わってこれからどうなるのかと満映社員が不安におののくなか、一人、青酸カリを煽って死んでしまった。岸さんはそれが許せない、責任者としてどうなのかと。甘粕さんがさっさと自殺してしまったおかげで、甘粕さんの側で働いていた人が身代わりに過酷な目に合わされてきた。本来、甘粕氏がとらなければいけない責任を、部下が引き受けることになってしまった。だから、責任を取らず逃げ出した甘粕氏が、戦後いろいろと持ち上げられたりするのを見ると、苦い気持ちになってしまうと。

それからおなじみ関東軍ね!敗戦時のヤツらの卑怯さはいろんなところで語り草だけど、やっぱりこちらの手記にも出てきて、ソ連軍が押し寄せてくるというときに、もういち早く民間人を置き去りにして逃げ出してるのよ!しかも引き上げ列車では、一般人は屋根もない貨車で着の身着のままのような状態で乗り込んでるのに、関東軍の家族は家財道具一式を持ち込んだ屋根付きの車両…。

で、さっきも書いたように岸さん一家は戦後もしばらく中国に残ることになって、中国共産党北朝鮮の映画作りに携わったり、技術指導することになるのね。「中国に残る」といっても、決して余裕ある選択というわけではなく、もう一つ一つの選択が何の情報も無い中での生死を分ける必死の賭けなの。

しかも帰国までのその間、ずっと映画作りをしていればよかったわけじゃなくて、途中「精簡」と呼ばれる、なんていうんだろ、映画作りに残るグループと、強制労働させられるグループに分けられることがあって、岸さん一家は長らく辛い強制労働生活を送ることになるのね。冬は零下30度にもなる中国北方で、家も暖房も食料も極限の中、河川の氷を割ったり石炭を運んだりという、出口の見えない過酷な労働に従事させられる。肉体的な辛さもさることながら、なぜこの人が映画作りに残れて、この人が強制労働組になるのかという選別自体が、元満映の人たちにものすごく心の傷を残すことになる。互いに対する猜疑心とか禍根とかね。ここにいた内田吐夢監督、木村荘十二監督も、あんまりに辛すぎたのか、はたまた書くと誰かを批判することになるからか、自伝でも精簡についてほとんど触れられていないのだとか。岸さん自身も当時のことを思い出すのは胸が痛くなるそう。

ちなみに、精簡で強制労働従事者の選別に関わった人たちで、中国人は後に謝罪してくれたけど、日本人は謝罪しないどころか非を全く認めなかったと書かれていた。

 岸さん自身のキャリアでは、そもそも映画界に入ろうなんて思っても見なかったのね。お兄さんたちが映画業界で仕事をしていたのだけど、男女差別も酷い業界だし、岸さん自身は洋裁で身を立てようと思っていたの。そうしたら、お兄さんたちが次々に病気で倒れたり徴兵されたりして、まだ15歳くらいの岸さんが働かなければいけなくなって、お兄さんが映画会社の編集のお手伝いという働き口を見つけてきてくれたのがきっかけ。

最初は言われるがままに仕事をこなすだけだったんだけど、日独合作映画『新しい土』の編集アシスタントに入り、そこでアリスさんという若いドイツ人女性編集技師のもとで働いた経験がすごい刺激になるの。編集を任されたのが女性というのが、当時の日本では考えられなくて、しかも監督が横暴なことをしたら部屋に呼び出して口論になるほど自己主張する。でも岸さんたちアシスタントにはとても優しく、編集技術を惜しみなく教えてくれる。アリスさんはすっかり岸さんの憧れの人、目指す目標になるんだよね。

で、岸さんが長年目標としてきたアリスさんのような一人前の編集技師になり、後輩に指導を行うのが、面白いことに敗戦後の中国でのことなの。中国では少なくとも技術を持っていれば女性でも尊重され、仕事を任されていたと書いてあった。当時、岸さんが技術を教えた人たちの次の世代には、陳凱歌など中国映画黄金時代を支えた名監督が多数輩出されたそう。