人間らしさとは妄想が肥大していることである

ここでいう「妄想」は、物理的な現実の反対をさす言葉のつもりで使っている。
妄想というと、バカげた想像とかファンタジーをイメージするけど、お金だって宗教だってそうでしょ。一人の妄想だとバカげてると言われるけど、集団で妄想を持てばそれは現実になる。

人はみな夢見て生きてる気がする。
ここでいう「夢を見る」というのは、上記の「妄想」と同じ意味。
頭の中を見ると、物理的に必要性のあること「以外」のことで占められている。
これを「夢見て生きている」と私は呼んでいる。

あー、そうか、でも物理的必要性以外のことで頭が占められているというのは、物理的必要が満たされた生活を送っているからなんだよな。そこは、反省というか自覚しないといけないな。

人間は、物理的必要性が満たされたら、思考や活動を止めるのかと言ったらそうじゃないんだよな。そこで妄想が肥大していく。

文明が発展するほど、妄想率が高くなる。

「妄想」で仕事が作られる。金融業、情報産業、「上司や住民から怒られないための役所仕事」「仕事をするフリができるための仕事」etc。仕事は物理的に必然性のないものの方が多いわけだから、技術が発展して便利になっても仕事はなくならず新たな仕事が生み出され続ける。

「新たな仕事が生み出され続ける」のは、多くの人が「仕事はとても価値の高い活動である」という妄想をしているから。その妄想が冷めればまた違った展開になる。

私の言っている「妄想」と、苫米地さんの言う抽象世界はたぶん同じ意味だと思う。小飼弾さんも何か似たようなことを言っていたような記憶がある。

一人で持つ妄想を、集団で持つと現実味を帯びてくる。皆で妄想を共有すればそれは揺るぎない現実になり、生きるか死ぬかまで人を追い込む力が生まれる。妄想のマンパワー

あ、妄想は悪いことではないと思ってます。衣食住でいっぱいいっぱいな生活よりも、ずっと幸せなことだと思います。物質的な必要が満たされても、妄想がなければ人間は満足できないんじゃないかな。肥大化した大脳を持った宿命(岡田斗司夫さん風に言うと呪いと祝福)みたいなものかな。

妄想といえば、私こそ妄想大王かもしれぬ。だって、こういうふうに、物理的には何の役にも立たないことを延々と考え続けるのが大好きなのですから

私がいま考えてることは物理的には何の役にも立たないことなんだけど、妄想を絶対視したときの苦しさに、ちょっと隙間を空けて風通しを良くすることには役立つと思います。妄想だと気づくことで、けっこう色々と気が楽になるんじゃないかな。

追記:「イヤな人」とは、自分の持つ好ましい妄想に冷や水をぶっかける人なのかもしれない。