瞑想日記11 「瞑想で幸せになる」というのは

最近夢を見なくなったのは瞑想で記憶の片付けをしているからだろうか。
今朝も瞑想中に記憶やイメージの断片が溢れるように出てきた。
それらを認識して、手放して、マントラに戻る、という感じ。

「瞑想で幸せになる」というのは、人間というはもともと幸せを感じてる状態なのに、機能しなくなった不要なプログラムをたくさん抱えていてわざわざ自分を苦しめる思考をしてしまう、その不要なプログラムを除去していくことで、自然に本来の幸せな自分に戻る事なのだそうな。

私もそうなりたいな。
変なプログラム(生きる上での「こうすべき」「こうあるべき」という変な思い込み)をどんどん手放せたらな。他人のそれはよく見えるのに、自分のものについてはあまりに自分と一体化しすぎてなかなか見えない。

やっぱり瞑想いいな。

瞑想のやり方がいまいち理解できなかったころは、何かの本にあった「魂の成長をするために1日何時間も瞑想するなんてバカげている」という言説に我田引水的に共感したんだけど、いまは「瞑想いいよ〜。すっごくいいよ〜」と思ってる。「自分のための贅沢な時間」という感じがする。

よく女の人が夜にボディケアするための時間とかを「自分のための贅沢な時間」って表現したりするけど、あのときに明日の心配とか同僚の悪口とか考えていたら、その時間は「自分のための贅沢な時間」では全く無いんだよね。それは「いま、ここ」にいる自分自身に気持ちを集中することではじめてそうだと言える。