『顔にあざのある女性たち』 「社会を変えること」と「現状の社会でどう生き抜くか」

『顔にあざのある女性たち―「問題経験の語り」の社会学


アザのある女性の苦しみと、女性一般の美醜の悩みは繋がっているのか

以前、石井政之さんの『見つめられる顔―ユニークフェイスの体験』を読みました。
ユニークフェイスとは、生まれつき或いは病気や怪我といった理由で、アザや傷があったり変形したりといった顔です。ユニークフェイスはまた当事者を支援する団体でもあり、この団体ができたことで、今までは個々に苦しみを抱えていた人たちが集まれる場が出来ました。

『顔にあざのある女性たち―「問題経験の語り」の社会学』著者の西倉実季さんは研究者という立場で、ユニークフェイス当事者に女性の発言者が少ないことに注目し、それは「女性一般が男性よりも容貌に対するプレッシャーを感じているのではないか、だから女性当事者は二重のプレッシャーを受けているのではないか」という仮説を立て、女性当事者のライフヒストリーを聞き取ることにしたそうです。(この仮説は当事者との対話を重ねることで変化していきます)

ユニークフェイスの在り方は様々ですが、本書はタイトルが示すようにアザのある女性を取り上げています。石井政之さんの本でも感じましたが、容貌にハンディがあることの苦難は凄まじいものです。常に好奇の視線に晒され、時には明確な悪意を投げつけられるので、防御のため常に気を張り詰めさせなければなりません。そして、好奇の目を向けられるのに必要な場面では無視されるなど拒否されてしまう。この苦しみについてtwitterで@Ucopiiiさんが「すき放題に珍しがられる孤独感」と表現されていて、私もその通りだと思いました。

このように顔がアザで覆われていることは生きていく上で凄まじいハンディとなるのに、「手足の不自由な人に比べたら恵まれている」などと、問題を矮小化されてしまい、当事者自らも苦しみを抑圧し、悩むことに罪悪感を持ってしまうことが多いようです。

著者の西倉さんは、当初「アザのある女性の苦しみは、女性一般の美醜の悩みと繋がっているもの」「ユニークフェイス当事者の女性は、男性とは違う苦しみを持っている」「女性一般が行う美容整形と、アザを無くす手術は共通するものがある」という考えを持ってインタビューに臨みますが、多くの当事者女性にその考えを否定されます。それは、明らかなハンディが単なる見た目の悩みに矮小化されてしまうことへの異議だったように思いました。
(西倉さんもそのあたりのご自身の考え方の変化を本書の中で考察されています)

女性一般が持つ美醜の悩みの方も簡単に片付けられるものではありませんが、『顔にあざのある女性たち』の体験を読むと、一般的な美醜の悩みと、常に精神的な暴力(当事者女性の中には中学生時代にクラスの男子生徒から肉体的な暴力をずっと受けてきた人もいます)に晒され続けている状況は確かに異なると思いました。本に登場した人は「子どもはあからさまに見たり追いかけたりするので子どもが一番怖い」と言っていました。


「社会を変えること」と「現状の社会でどう生き抜くか」

本書に登場した3人の女性のうち、2人は手術したりメイクであざを隠して手術やメイクでアザを隠すことで今の社会の中で生き延びようとし、一人は「気持ち悪いと言う人のためになぜ高額な費用とリスクをかけて手術しなければいけないのか、問題があるのは社会の方じゃないか」という考え方をもって生きていました。

「気持ち悪いと言う人のためになぜ高額な費用とリスクをかけて手術しなければいけないのか」この考えを読んだときに目が開かれる気がしました。そして勇気が出ました。同時に「社会を変えること」と、「現状の社会でどう生き抜くか」の違いを考えました。

私にアザがあったらどうするか…過去の自分の行動や考えからイメージしてみると、おそらく「現状の社会の中でどう生き抜くか」を選ぶと思います。

社会を変えるというのは大きな枠組みの話になるので、個人的な幸せや損得というところでは犠牲になることも多いのかなと思いました。例えば、社会運動の初期に身を投じた人は個人的な幸福や損得というところでは報われなかったり、運動が実を結ぶ様を見られないまま人生を終えてしまう場合もあるのではないでしょうか。(私の推測で書いているので実際のところはわからないのですが…)

ただ、「自分ではなく社会に問題がある」という見方を手に入れることで、周囲の社会を直接的に変えることはできなくても、人生観は大きく変わることは確かだと思いました。

少し話は逸れますが、先日Twitterでみかけた子供向け雑誌の「これがモテ子だ」という記事があります。理想の髪型や顔の造作、表情や振舞い方などがイラストつきで細かく解説されているものです。大人である今の私はこの記事に嫌な気持ちを持ちます。子どもがこんなことに振り回される社会であってはいけないと思うからです。ただ、小学生の頃の無力感でいっぱいの私だったら、有効な情報だと飛びついたのではないかな。

まとめ

本書に登場した女性は「社会が変わるべきだ」と言いました。社会のことを考えていくと、必然的にその社会の構成員である私自身に考えが及びます。そういう社会の一員として私はどうしていくべきなのか、例えば町で子どもがユニークフェイスの人を無遠慮にじろじろと見ていたら、私はどういう行動を取ればいいのか…そんなことを考えました。

顔にアザができることは後天的にも起こることだし事故で容貌が変わってしまうこともあります。ユニークフェイスの問題は自分にも起こり得ることだということも考えなくてはいけないのですが、やはり自分には起こってほしくない、だから他人事のように考えてしまう。私にはそんなこともあります。

うまく言えないのですが、この本の感想を書こうとするときに表面的なものであってはいけないような気がしました。これだけのことを言ってくれたんだから、私も偽善的ではない本音というか、ちゃんと自分の言葉で応えなくてはいけないと思いました。

顔にあざのある女性たち―「問題経験の語り」の社会学

顔にあざのある女性たち―「問題経験の語り」の社会学