『自分づくりの文章術』感想その2、自分固有の表現とは

 

自分づくりの文章術 (ちくま新書)

自分づくりの文章術 (ちくま新書)

 

 先日もこの本を読んで思ったことや覚えておきたいことを書きましたが、もうひとつ書いておきたいことがありました。

それは「自分固有の表現」について。

例えば自分の考えって、オリジナルなつもりでいても実はどこからか仕入れた地人の言葉の断片だったりするじゃないですか。ただ、著者の清水さん曰く、そこにあんまりに無自覚だと、「大多数が慣れ親しんでいる典型的なスタイル、つまりステレオタイプの断片が思考を占領」することになるのだそうね。で、多くの人はそんなめんどくさいこといちいち考えないから「ステレオタイプの断片が思考を占領」することになるわけだね。

一時期お年寄り世代に流行したという「自分史」も、このステレオタイプ表現ゆえに似たり寄ったりの内容になってしまったものが多かったんだって。人生体験としては十人十色なんだけど、それを自分で表現するとなると紋切り型のものしか思い浮かばなくなっちゃうんだろうね。

この本では清水良典さんの教え子だった工業高校の生徒さんが書いた珠玉の文章が紹介されているんだけど、上に出てきた自分史を書くお年寄りと同じような理由で、その生徒さんは自らが書いたユニークで素晴らしい文章への自覚が全くなかったそう。で、卒業の寄せ書きでは「為せば成る」みたいな紋切り型格言を書いたりしてたんだって。

ただ、ステレオタイプというのは「多くの人が共通して理解できる表現」だから悪いことじゃないんだよね。それ自体は利用すべき価値あるもの。

結局、ステレオタイプを利用することと、そこを打ち破って新たな表現をしたいとその葛藤している状態そのものが「自分なりの表現」とか「自分なりの考え方」なのかなと思った。