村上春樹『職業としての小説家』

 

職業としての小説家 (Switch library)

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小説家に向いてる人とは
スマートで効率的にものごとを考える人ではなく、愚鈍に考え続ける人。文学以外の分野で活躍している人が、そこそこ面白い小説を書いても後が続かないのは、まさに効率の悪い活動だから。
少しの情報で「あれはこういうことだよね」「あの人はこういう人ね」とサクサク結論を出していくような人に小説家は向かない。結論は保留する。

小説家になるための訓練

↑村上さん自身はこの言い方はちょっと違うな…と思っておられるものの、よく若い人たちにこれを質問されるそう。小説家は訓練をしてなるものではないけれど、もしこのような質問をされたら以下のように答えているとか。それは本をたくさん読むこと。まわりの人々をよく観察し、細かなディテールや印象をたくさんストックすること。これらが物語の材料になっていく。

オリジナリティのあるものとは

真にオリジナリティのあるものは、リアルタイムでは大きな反発を受けたり、あまり世間には受け入れられなかったりする。ビートルズでさえも、出始めは文化的エスタブリッシュメントから憎まれ、あちこちでレコードを燃やす運動?なんてことも行われた。ストラヴィンスキーは聴衆に理解されず、マーラー交響曲は当時、陰鬱で退屈だと見下されていた。逆に、そのときは持て囃されても時の洗礼に耐えられない作品もたくさんある。時間に切磋琢磨されてなお生き残るものが素晴らしいというのは、ノルウェイの森のナガサワさんのセリフを思い出します。

村上さんが小説を書こうと思った瞬間

村上さんが小説を書こうと思った瞬間の有名なエピソード。よく晴れた気持ちの良い日、神宮球場の外野席の芝生にビールを飲みながら寝っ転がっていてふと小説を書こうと思い立ったこと。

バブル時代の景気の良い話

バブル時代に持ち込まれた景気の良い話。「私が所有するフランスのシャトーで作品を書きませんか?」とか「世界中どこでも好きなところに行って紀行文を書いて下さい」とか。

賞にまつわること

村上さんが日本の文壇や出版界から長年批判され続けてきたこと。頼んでもいないのに幾度か芥川賞候補になり落選し、勝手に残念がられたこと。(これ、最近ではノーベル文学賞だよなあ。毎回勝手に期待されて勝手に残念な人扱いにされてるのを見ると「…もう、許してあげて…」と思ってしまう笑)「村上春樹はなぜ芥川賞が取れないのか」みたいなタイトルの本があったが、さすがに自分が買うのは恥ずかしいので買わなかったこと。

原発への考え方

原発への考え方。仮に原発が推進派の人々の言うように注意深く厳重に管理されたとして、それでやっと「是か非か」の議論のテーブルに着くことができる。ただ、今のように営利企業が運営し、庶民への共感や同情を持ち合わせていない官僚組織が管理しているのなら話にならない。

アメリカ市場へ行ったときの話

アメリカ市場への参入。当初、講談社アメリカという会社が村上春樹の本をアメリカに紹介した。この会社は講談社と名乗っていたものの、社員もアメリカ人が多くほとんど現地企業のようだった。この窓口により村上作品はアメリカで好評を得たものの、それはあくまでカルト的な人気、ごく一部のマニアの中での話だった。その後、村上さん自身が動き、エージェントを見つけて精力的に営業活動をしていく。文化的権威のある雑誌『ニューヨーカー』に作品が取り上げられるようになる(この辺りの前後関係をちょっと忘れてしまった)といった感じでアメリカで足場を築いていくエピソード。文面にはあまり書かれていなかったけど、日本の出版界で常にチクチク批判されていたこととかそういう不満もあったのかな、なんて思った。