『したくないことはしない』植草甚一の青春

したくないことはしない

植草甚一さんといえば、小柄で細身の体にサイケデリックなTシャツやベルボトムのパンツといったファンキーな服装に身を包み、街歩きと、古書あさりとジャズを愛する飄々としたご老人というイメージですが、「それ以前」の植草さんは一体どういう人でどういう人生を歩んできたのか。生前親しくしていた担当編集者の方が丹念に書いています。

 

ファンキー老人としてブレイクする直前、中年期の植草さんは、太っていて、ポマードでなでつけたようなオールバック、三つ揃いのスーツを愛用という、アル・カポネみたいな容貌だったんだね!写真も載っていて確かに植草さんなんだけど、あの「おしゃれな仙人」みたいな雰囲気とは全く違った、脂ぎった中年おじさんみたいな感じで意外!このときは性格もかなり怒りっぽくて、すぐにちゃぶ台ひっくり返すようなキャラだったそう。それで人間関係も悪く、例えば、当時編集者だった常盤新平さんはかなり植草さんに嫌な目に合わされていたそう(というわけで仲は悪い)。

 

変化は植草さんの体調の変化で、大病をして入院したことで劇的に痩せて、あとは体が弱ったせいなのか性格も丸くなって、今知られているような、人当たりがよくて飄々とした人になったんだって。

 

仕事や経済的な面でも、実はこの老人期にブレイクするまでは不遇で、経済的にも苦労していたそう。もっとも植草さん自身が苦労するというよりも、奥様がということなんだけど。

 

奥さんからの植草さんの裏話も面白かった!私も植草さんのエッセイを読んで「散歩のたびになにか買い物をしないと気がすまない」とか「本やレコードをがさっと買ってくる」なんかのエピソードを読んで「買うのはいいけど、一体それらをどこに置いておくんだろうか…」と思っていたんだけど、やっぱり置き場所に苦労してたんだ!後年、やっと経済的に余裕が出てきて(今までと比較すると)大きな部屋に引っ越したのに、奥さんがちょっとスペースを空けておくと、あっという間に植草さんが本の束を置いちゃうんだって。ちなみに、奥さんは京都の老舗旅館の家の出で、戦争で被災して東京に出てきたところに、植草さんのお姉さんと知り合いになって植草さんを紹介されたとのこと。

 

本書では、植草さんの隠れたコンプレックスが考察されているのが白眉なんじゃないかな。勉強好きで博覧強記の植草さんだけど、当時の東大ヘ行くエリートコースに外れてしまったことで、商人の家の出身であることや、学歴コンプレックスを抱いてしまい、わりと後年まで引きずっていたんじゃないかと、身近で見ていた編集者の都野さんは書いています。現に、昔の映画評論の世界なんかでは、エリートコース以外の人を傍流とみなす雰囲気があったみたい。

 

植草さんの映画や小説の好み方がまた変わっていて、筋よりもイメージ。ストーリーとかは求めていなくて、場面場面の描き方やつなげ方に最大限の関心がある。だから大衆が好むわかりやすい作品は嫌いで、前衛的な作品が大好きだったんだって。こちらも、映画や小説の評論で、長らく不遇だった原因みたい。植草さんと仲の良かった淀川長治さん(植草さんの数少ない理解者)なんかは、ちゃんとこっちの筋のある作品の良さを熱弁できるものね。