とうとう『ノルウェイの森』を読んだ。

宇多丸さんの『ノルウェイの森』(映画)の解説を聞いてたら観てみようかなと気持ちが動いた。

なぜ今まで読まなかったのかというと、宇多丸さんが『ノルウェイの森』を紹介していたときのこの一言が全てをあらわしている。
「粗筋だけ取り出すと怒り出す人がいる」
まさしく私がそれで、はじめて粗筋を知ったときに「なんだこの都合のいいハーレムストーリーは!」と思った。
ただ「粗筋だけ取り出すと…」というのは、それ以上のものがあるということだし、宇多丸さんの解説でも恋愛ストーリーだけじゃない呑み込みづらさがある話と言ってたので読んでみようかなと。

図書館で探してみたら下巻があったので読んでみた。

下巻の冒頭はレイコさんという登場人物がピアノの生徒について話す場面なんだけど、そこに「才能があっても、訓練でその才能をまとめあげる力を身につけなければ、才能は断片的にきらめいてもすぐに散ってしまう」という趣旨の台詞があって、そこにぐっと心を惹かれてその先を読んでみたくなった。読んでいくと、断片的に知っていた粗筋や登場人物の関係が次々につながっていって面白くなっていった。下巻を読み終わった興奮で上巻も読みたくなって、逆の順番で読み終わった。

登場人物では緑に親しみを感じた。レイコさんは最後の最後に予想外の存在感で魅力的だったけど「いやいやそこ出しちゃダメだろ」とちょっと現実的なところが気になってしまった。直子についてはキズキ君と心中してたらまるく収まっていたのになこの迷惑カップルめ(?)と思った。けどそれじゃあこの物語がはじまらないからな…。

村上春樹というとよく揶揄される「やれやれ」とか独特の言い回しも通して読んでみるとあまり気にならなかった。ただ、宇多丸さんの『ノルウェイの森』評で知ったんだけど村上春樹さん自身が「映画化するなら台詞は小説そのままにしたら不自然になるから止めてくれ」的なことをと言っていたと聞いて「ご本人もそう思ってたのか」と親近感を覚えた(実際は主演の松山ケンイチさんの希望で映画の台詞の多くは小説のままになってるそう)。

久しぶりに小説を読んで、小説の効能は、日常生活や自らの日常的な脳内お喋りに彩りを与えてくれることなんだなと再認識した。味気ない雑用でも、その小説の場面を思い浮かべながらやると楽しくできる。『ノルウェイの森』を読んで以来よく思い浮かべるのは緑の「インドの打楽器奏者のような」料理シーンだ。これを思い浮かべながら料理するとよく動けて楽しい。料理をする人なら、マルチタスクな料理の動作が打楽器演奏と動作が似てきそうなのってわかりますよね。