『白い孤影 ヨコハマメリー』

 

白い孤影 ヨコハマメリー (ちくま文庫)

白い孤影 ヨコハマメリー (ちくま文庫)

 

 メリーさんというのは1996年ごろまで横浜は伊勢佐木町近辺に出没していた横浜の有名人です。白いドレスと真っ白の白粉と真っ黒なアイラインが特徴の小柄なおばあちゃん。

私も高校生の頃に数回見たかな。当時通っていた絵画教室が、なぜか福富町という強烈な歓楽街の真っ只中にあって、その頃にけっこう見た記憶がある。見ると嬉しかった。退屈な日常の中で、見るからに変わった人を見るというのはそれだけで非日常な一瞬を味わえる。

で、こちらの本。

すごくおもしろかったー!

メリーさんを取り巻いていた人々の証言とその裏取り取材でメリーさんの足跡を追いかける前半、そしてメリーさんがなぜ「町の奇人変人」から伝説的な存在へと変貌したのか、メリーさん自身というより、なぜ人々はメリーさんに伝説的なストーリーを託したのかという社会学的な考察の後半。

メリーさんが伝説化していく過程は、実は横浜からいわゆる「横浜らしさ」が消えていく過程と時を同じくしている発見とかも面白かった。メリーさんを題材にした歌が立て続けに発表された1982年は、米軍本牧基地返還の年であり、三菱の造船工場が閉鎖し移転する頃でもあり、横浜という町がアイデンティティクライシスを迎えていたときでもあった。だからメリーさんにその失われつつある横浜のロマンを託したのではないかと。

メリーさんは晩年にある意味有名人になったけど元々は市井の人で特に記録が残っているわけでもないし、メリーさん自身が無口で自分のことはほとんど語らなかった人なので、やっぱり調べてもわからず仕舞いということも多い。

でもやっぱり一番知りたいのは「なぜにあの格好??」というところ。そこはずっと取材してきた著者の檀原さんが推量するに「メリーさんが見た夢は浮世離れしたものだった。彼女は『憧れだったヨーロッパ風の衣装を着て一生を過ごす』という生活の役に立たない暮らしを夢見たのである。それは失われた青春時代を生き直すことでもあったし、貞淑な妻として家庭に入るのを拒むことでもあった」

横浜のイメージが強いメリーさんだけど出身は岡山で、最後の10年も岡山の老人ホームで暮らしている。

「おそらく彼女にとって、故郷こそ世界のすべてだったのではないだろうか。メリーさんたちの世代にとって、成長するまで外の世界を目にすることは稀なことであった」

「岡山は彼女にとってエデンの園であるはずだった。しかし彼女はそこから追放されたのだ。おそらく故郷は彼女にとって失われた幸せの象徴だった」

メリーさんは故郷から拒絶されてしまう。

「本来しずかな山里でささやかな幸せをつかむはずだった自分。しかしそんな人生は永久に失われてしまった。もう守るものも、失うものもない。糸の切れた凧のような自由と失われた青春を取り戻したいという気持ち」

実弟の話によると、娘時代のメリーさんは裁縫が好きで派手な格好を好んだという。あるべき人生を失った彼女は、自分の情熱を白いドレスに注ぎ込んだに違いない。あのドレスは既製品ではなく、メリーさんが自分で縫ったものではないだろうか」

「世界のすべてを意味する故郷に戻れない以上、幸せな日々はやってこない。失楽園の喪失感はどうしても埋められないものだった。だから建設的な人生は諦めた。彼女は着倒れに心の慰めを求め、そこに耽溺しきっていたのではないか」

これ私すごく納得したんだけどどうかな。でもいきなりここだけ抜粋しても説得力乏しいかな? それならぜひぜひこちらの本を読んでみてください。納得するから!

 

『ニュータウンは黄昏れて』垣谷美雨

 

ニュータウンは黄昏れて (新潮文庫)

ニュータウンは黄昏れて (新潮文庫)

 

 もともとは母から「最近すっごく面白い本読んでね!」と興奮気味に垣谷美雨さんの『定年オヤジ改造計画』を紹介されたのが本書を読むきっかけ。

定年オヤジ~の方は、会社を退職したエリート高齢男性が息子夫婦の孫の面倒をみていくお話。母も時折り孫の面倒をみるを身なので、小さな子どもや保育園の描写とか「わかるわかるー!」の連続ですごく面白いらしい。また、それが単に個人のエピソードに終わらず、国の政策によって保育が母親に過重に押しつけられてきたことなんかも書かれているとのことで、私も俄然読みたくなり、垣谷美雨さんの本を色々と探してみた。

で、先に手に入ったのがこの『ニュータウンは黄昏れて』だったので、まずはこちらを読み始めたら、期待通り面白くてやめられない。途中、読書のジャンルはだいぶ違う夫も面白いってもっていきました。

バブル時代のすごく値段の高かったときに駅から遠く離れた分譲団地を買ってしまった人の話。50代のパート主婦と20代後半のやっぱりアルバイトしている娘の話が主軸。もうリアルリアルリアル。いろいろともう身につまされる感じ。

きつい住宅ローン、不動産屋の甘言、売るに売れない住まい、これだけ仕事をしているのに信じられないくらい安い給料、それなのに容赦なく取り立てられる奨学金ローン。

でもこれってもう個人の努力でなんとかできる話じゃないよね?明らかに政策の失敗が押しつけられているよね?そういうメッセージもすごく感じられてとても共感しました。

前半は読んでいてちょっとブルーになるものの、そこにどんな展開が起こって、終盤はどう巻き返していくか!私は読んだあとに元気づけられました。自分の等身大で、前向きさを忘れず生きたい思いが湧いてきました。

保育園2年目

さっきこのブログに自分で書いた保育園初日の記事を懐かしく読んでいました。

さて、保育園も2年目です。

お迎えはパパが担当してくれていて、私はもっぱら朝専門。二人を送り届けるときにいろんな先生や大きいクラスの子どもたちとキャッキャとお話をします。いや、さすがにキャッキャはしてないか。客観的に見ればふつうに笑顔でお話しているだけなのですが、自分の主観的な感覚では朝からキャッキャしている感じです。

今までの人生にはないこの感覚…。でも嬉しいです。去年なんかは、先生やお母さんと話したあとに「ああっ、なんか私ヘンなこと言っちゃったかな」みたいにドギマギしていたのですが、さすがにそこは慣れました!

あとは同じ空間に他のお母さんや先生がいた場合、どの辺まで考慮して挨拶とか会釈とかしたらいいのか…とか思っていたのですが、他のお母さんたちを観察した結果、あまり気にせず、挨拶しそびれたらそれはそれで、まずは自分の子共に集中することが大事だというところに落ち着きました。

子どもたちも、だいぶ慣れてきたみたいです。この前は上の子が「ベビーカー乗せてヨー!」(この末尾はぜひカタカナにしたかった)と自分で私に訴えてきました。前はむしろ行きたがらなかったのにね。これも嬉しい変化。

そして他の子どもたちとの関わり。昔、4,5歳くらいの子どもが苦手だったなんてあっさりと忘れ去るくらい、毎日お話しています。登園時にけっこう話しかけてくる子が多いんですね。で、話しかけてくれるのが嬉しいし、話すとけっこう楽しい。

とはいえ、保育園がお休みの週末や実家で見てもらう日なんかはやっぱりちょっと気が楽です。

 

昭和といえば日曜夕方のあの空気

昭和50年代の日曜夕方。

サザエさんが始まると同時に我が家では夕食が始まっていたのでその前の段階だろうか。おばあちゃんと一緒に見る笑点。でも私が印象に残っているのはそのコマーシャルだ。

 

…と書いたところで、料理天国の記憶も一緒に立ち上ってきた。あれは土曜日じゃなかっただろうか。

 

ここで何が昭和なのかというとサントリーのコマーシャルだ。サントリーのコマーシャル…。とはいっても何か鮮明なCMを思い出したかというとそうでもなくて、いま私が思い浮かべているのはお寿司屋さんのような少し高級目なカウンターのお店に出される小さなビールグラスだ。

 

当時の私は子どもだったのでそのような店に連れて行かれると飲み物にジュースを出されるわけだが、大抵は瓶のバヤリースオレンジしかなく、美味しいといえば美味しい、甘すぎて美味しくないといえば美味しくない、少なくともお寿司には合わないだろうというそれを飲んだ。

 

当時の大人向けの、昔からあるようなお店はドリンクの品揃えがやたらと貧弱だった。

 

話はすでに日曜夕方のテレビ番組界隈の話から離れているが、私にとってはこれも「昭和の日曜夕方のあの空気」なのだ。

 

それから昭和といえば、母の元上司兼「心の師」みたいなおじさんだ。このおじさんが私の中の昭和の文化人だ。おじさんは東大を卒業後、思うところがあって観光バスの運転手になった。観光バスのガイドをしていた母や母の同僚たちにも偉そうにすることなく、ガイドさんたちからとても慕われていたそうだ。

 

母は私や父を連れて、横浜郊外に住んでいた退職後のおじさん宅へ遊びにいっていたが、ここのお家や暮らし方が、子どもながらにも色々とこだわりが感じられた。まず、まな板が木の切り株。おじさんの日常着が作務衣。民藝品愛用。思い出していくうちに囲炉裏さえあったような気がして来たが、そこは多分私の創作だろう。

 

私はコロナブックスから出ている『作家の住まい』『作家のおやつ』…などの『作家の〜』シリーズが好きなのだが、これも私が子供のころの「正しい文化的在り方」とか「正しく高級な食卓」みたいな雰囲気や懐かしさを味わいたいからなのだと思う。やたら「正しい」が出てくるのは当時の私が子供だったということでご容赦願いたい。

どきどき僕の人生 (新しい韓国の文学 7) キム エラン (著), きむ ふな (翻訳)

今より広い家に引っ越したら、本棚を置いてそこに好きな本を入れようかな。将来子どもたちが何かの拍子に読んでくれたら嬉しいな…という本を。
 
そうしたら真っ先に本棚に入れたいのがこの本『どきどき僕の人生』キム・エラン
 
韓国の田舎町に暮らす17歳同士の両親のもとに生まれた、早老症を患う少年アルム。17歳になったアルムは34歳の両親を通り越して80歳の体になっている。
 
アルムは自分は勉強ができる子にも運動ができる子にも健康な子にもなれない…そんな自分にできることはなんだろうと、両親に物語をプレゼントしようとする。だから、この小説自体がなんていうの、入れ子構造だっけ、そういう面白い作りになってるの。
 
両親をはじめ、アルムを巡る人たちの描写もすごくいい。お隣のチャン爺さんとかね。
 
わたし、この作品のことも作者のことも何も知らずに手に取ったのね。素敵な装丁と、冒頭の数ページをよんだ時の「なんだか素敵な世界が始まりそう」という感触で。あとはちょっと前に読んだ『楽しい私の家』が良かったので、韓国の小説への期待感もあった。
 
それが本当に大正解だった。引き込まれて、「えっ」っていう意外な展開があって、感動して涙して、ちょっと笑って「うわっ、このフレーズメモしときたい」なんてところがあって、それでまた泣いて…。
 
 

 

どきどき僕の人生 (新しい韓国の文学 7)

どきどき僕の人生 (新しい韓国の文学 7)

 

 

保育園初日。記録編

保育園初日の備忘録的メモ。

保育園に行くのは3月上旬の面談の日以来。あまり細かい説明はないままで、詳しい持ち物は「入園のしおり」を見て用意したものの、「これでいいんだろうか…」と少し心もとない気持ちです。

面談の日に決めた日程通り9時に登園したら、今日は入園式のため10時始まりとのこと。特にそういう案内はなかったけどな…と思っていたら、もう一組、私と同じように早く来てしまった人たちがいました。

時間まで親子三人で近所を散歩してプチお花見。そろそろ時間が近づいてきたので戻ってみると、他の皆さんも登園されていました。

うちは兄弟同時入園なので、0歳の子のクラス、1歳の子のクラス…と、あっちのクラス行ってこっちのクラス行ってと落ち着かない感じでした。

入園式は広いお部屋で、先輩たちが待っているところに入場。私たちは0歳児のクラスで兄弟共に入場。0歳の子は保育士さんにだっこしてもらいました。1歳の子は、一度に子どもたちが大量にいるという状況もだいぶショックだったようです。

入園式は各クラスの担任の先生の紹介、歌、紙芝居。紙芝居を見ているときに1歳の子が部屋を出て帰ろうとしていました(笑)

入園式後、各クラスに戻ったら適当に解散。「入園のしおり」と実際に必要な持ち物に、けっこうズレがあることが判明。というか、担任の先生も入園時に用意するバスタオルの枚数を把握していなかったという(しおりには2枚用意するということでしたが、実際は1枚。あと、しおりに書いてあった歯ブラシとコップは用意しなくていいとのこと)。

ただ、多めに持ってきてしまっても、ロッカーに入りきらなかったものをひっかけるところがあるので、そこにかけておけばいいそうです。

土曜保育もあるものの、その場合は平日に1日お休みをすること。一応「親子の触れ合いの時間を確保」とのことでしたが、たぶん見るのが大変だからなんじゃないかなと思いました。

全体に保育園内でちょっと情報共有できていない感じだけど、そのぶん緩く臨機応変に対応してくれるような印象でした。あと、若い先生が多いので「頼れるベテランの先生」という感じではないかなあと。

保育園初日。気持ち編

今日は保育園の初日でした。
うちの年子の兄弟(1歳0歳)が同じ園に同時に入園します。0歳の子はまだ幼いことがプラスに働いてマイペース。1歳の子は大泣きしてしまい試練の時でした。

そして私。いままで子どもたちとずっと一緒にいたのが、いよいよ手を離れていくことになり、淋しい気持ちです。特に1歳の子が大泣きして心細そうで、つい保育園行かずに一緒にこのままいることを妄想してしまいますが、でもいずれは親から離れて自分なりの生活に入っていくんですものね。

あまり悲観的にならずに、子どもを信じて、何事も受け止めて、行こうと思います。そうだ!こういうときこそマインドフルネスではないかっ!

あと、何気にいま心慰められているのが、「保育園 初日 大泣き」で検索されてきた皆様の体験談(笑)保育園の先生に「最初にいっぱい泣く方が早く慣れる」なんて、ありがたすぎて涙が出そうなアドバイスをもらった方がいたそうで、私もいますごく勇気づけられています。

次の投稿で、保育園初日の備忘録的なメモをしようと思います。