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「みんなで持ってる妄想」の苦しみ

お金というのは、皆で持っている約束事、頭の中の世界。
宗教もそう。
実態があるわけではなくて、みんなで持っている思い込み。

それなのに、実体のない妄想でしかないものなのに、それでたくさんの人が苦しんだり、果ては生きるか死ぬかという極限状態に追い込まれる。

この集団妄想が便利なものとして機能している場合には意識しないんだけれど、人を苦しめることにで意識された場合、「妄想でしかないのに不思議だな」と改めて思ったりします。

肉体的物理的な苦しみではない、思い込みからくる苦しみ。
思い込みの苦しみは思い込みなのだから、その思い込みを変えればいいんだろうか…。
でも皆で思い込んでることだから自分だけ考え方を変えても仕方ないんだろうか。

今の時点での思いつきだけど、お金とか宗教とか「皆が持っている妄想」でしかないのに、そこに苦しめられるというのは、突き詰めると「人からどう思われるかで一喜一憂する」ことにたどり着くんじゃないかなと思った。

人から嫌われたり軽蔑されたり、好きな人をがっかりさせたりするのって、辛いですよね。
別にそれで殴られたり肉体的な痛みを被るわけじゃないんだけど、相手の自分への思いを想像してしまって辛くなる。

「人からどう思われるかで一喜一憂する」ことと「お金や宗教のような皆で共有する思い込みで苦しむ」ことの間を、繋ぐ何かうまい説明がないものかなと思うんだけど、今のところうまい言い方が思いつきません。

もしかしたら「それは人間が社会的な動物だからです」という一言で片付けられるのかもしれないけど、もう少し自分なりに納得できる説明の仕方を見つけたい。