『ユーミンの罪』酒井順子

ユーミンの罪 (講談社現代新書)

私自身は、ユーミン世代でもないし思い入れは全く無いんだけど、いろいろと「なるほどー」と思う本でした。

一番「なるほどー」と思ったのは、ユーミンは八王子出身だったからこそ、都会への憧れ感とかキラキラ感を描けたのではないか、というところ。私も「ユーミンは10代の頃から六本木や横浜や湘南で遊びまわっていた」というのを聞いて「でも、八王子からそこまで行くのって大変じゃないか…しかも昔だし」といつも不思議だったんですよね、あとそこを突っ込む人も誰もいなかったし。酒井さん曰く、例えばきらびやかな王朝文化を描いた清少納言紫式部も、キラキラのど真ん中にいたお姫様じゃなく、傍流というか二流の人だったからこそ、そういう世界を客観的に描けた、だからユーミンも実はど真ん中ではなく辺境の遊び人だったからそういう視点を持てたのではないかと、ということでした。

あと、嫉妬とか性愛とかいったテーマからドロドロしたものを抜いて、ドライにおしゃれに表現するワザが天才的とかね。ユーミン自身は自立したかっこいい女性のイメージだけど、曲は「助手席感」というか守られている女性が共感するようなもので、だけど旧来の尽くす女性像ではなく、パートナーを積極的に選んでいく女性像ということで、まあ、演歌の世界からだいぶ進化した、自立はしてないんだけどw、まあ、昔よりは少しマシになった過渡期の女性像を描いていた、という解説も「なるほどー」と思いました。

それにしても、バブル期の風俗解説でよく出てくる「バブル前は進学校から東大に行くような男性が一番すごいという価値観があったけど、バブル期あたりからお坊ちゃん大学の付属校上がりで、受験に翻弄されない余裕のある遊び人がモテた」っていうの、これいつもアベシンゾーと取り巻きを思い出してすごく腹が立つ!「お前らが日本をダメにしたんだろ!」って思っちゃって。

 

『ビューティ・ジャンキー-美と若さを求めて暴走する整形中毒者たち』

ビューティ・ジャンキー-美と若さを求めて暴走する整形中毒者たち

ニューヨーク・タイムズの記者が書いた本。名前からして男性かと思ったら女性なんだって。というわけで、著者自身もまるっきり客観的に突き放して書いているわけではなく、「当事者」でもあるんだよね。まあ、今日び男性だからといって容姿の問題に全く無関係ではないんだけど、やっぱり女性のほうが囚われてしまう問題だし、まだまだそういう社会構造だからね。

で、著者のアレックスがどう当事者かというと、自らもボトックスとかピーリングとかいろいろやるのよ。当初は取材するだけだったんだけど、そのうちに「これ、いいかも」「これくらいなら…メスをいれるわけじゃないんだし」と、どんどん深入りしていくの。で、とうとう「下半身の脂肪吸引」「まぶたのたるみを取る」という、メスをいれる領域に、控えめながらも進出していくのね。

ただ、整形の何が悪いの?って言ったらそうはっきりとしたことは言えないよね。「親からもらった体にメスを…」なんて言い方もピンと来ないし。ただ、こちらに書いてあって「あー、こういう感じわかる」と思ったのは、整形の世界に足を踏み入れると、「次はどこを整形しなければいけないか」という目で自分の体を点検しだす、自分の体に対して肯定するというよりはダメ出しモードになる、ということなんだな。

アレックスが整形中毒から目が覚めたのは、大事な友人の葬儀の合間に、予約していた唇のボトックスに行って想定外に唇が大腫れしてしまって、葬儀に出られなくなってしまったこと。なんせ中毒だから、優先順位みたいなまともな判断ができなくなってしまうんだよね。それから「体はコントロールしきれない」「整形よりも加齢の力の方が偉大だ」ということを思い知らされたこと。

私自身はこのように著者のアレックス自身の体験談が一番印象に残ったので、そこ中心の感想になっているけど、その他の、アメリカの美容整形外科界の業界事情とかも面白かった。

つかれたああああああ

またこのタイトルw

週一で旦那さんが赤ちゃんを見てくれることになってそれは助かるんだけど、帰ってきてから荒れ狂った部屋を片付けて掃除するというミッションが…。基本的に旦那さんは汚部屋で大丈夫な人で散らかったり汚くなってもわりと放置気味なので、結果的に私が掃除と片づけをすることに。

というわけで、夕食の片付けと掃除がやっと終わった。といってもサクサクやればすぐ終わる話なんだけど、なんせいま身重だからいちいち疲れるのよね。だから一つのことをやって休んでツムツム(ゲーム)、一つのことをやってツイッター、一つのことをやって読書の続き…みたいな感じでやってる。だから遅くなるのよね。

本当は帰宅後に諸々の用事にもっと手を付けたかったんだけど明日明日!

『なぜ日本のフランスパンは世界一になったのか パンと日本人の150年 』 阿古 真理

なぜ日本のフランスパンは世界一になったのか パンと日本人の150年 (NHK出版新書)

このタイトルだったら読まないけど、なんといっても阿古真理さんの著作だからね!阿古真理ファンの私としては著者名で読みました。で、期待通りの満足感!

パンが日本にやってきたのは、正確には種子島に漂着したポルトガルからの宣教師からなんだけど、でもほっとんどの人には無縁だったわけで、もっと一般にパンが浸透してきたのはいつかと言えば、やっぱり明治時代からだよね。

この時代に日本の職人が外国人の職人から技術を習得したりと四苦八苦してパン作りを習得してパン屋を開業しはじめ、外国人向けだけではなく日本人にウケるパンをと、アンパンという和風パンの金字塔が発明され、パンは洋行帰りの人を中心に都市の富裕層に受け入れられていきます。

当初、パンの先端都市は横浜だったのですが、関東大震災で多くの外国人とパン職人たちが神戸へ移動したことをきっかけに、日本のパンの勢力図は神戸を中心に関西圏へと移っていきます。実はこの勢力図は現在に至るまで影響があって、2016年時点でもパン消費量ランキングの上位は関西勢が独占しています。関西出身の阿古真理さんも、上京した当初、美味しいパン屋さん(ちゃんとしたバゲットやバタールなどのハードパンが置いてあるお店)がなかなか見つからずに困ったと書いていました。それから偶然にもこのブログの数エントリー前に出てくる、ベルギーの食生活が描かれた『フランダースのイモ』でも、関西人の山口潔子さんが、京都のパン屋さんのレベルの高さについて言及していました。

そう、やっぱりパン文化が進んでるかって、ハードパンがちゃんとしてるかですよね!めっちゃ皮の硬そうな香ばしそうなバゲットやバタールが並んでいるパン屋さんを見るとワクワクします。

ただ、日本はお米文化圏。日本でなかなかハードパンが受け入れられず、モチモチ食感の柔らかいパンが愛され続けているのも、水分をたっぷり含んだお米の食感に慣れているから。阿古真理さんは、そこに中華圏の粉物文化の影響も入り混じっているのではと、考察されています。

 

『生きて帰ってきた男――ある日本兵の戦争と戦後 』小熊英二

生きて帰ってきた男――ある日本兵の戦争と戦後 (岩波新書)

読んで良かった。

小熊さんのお父様である、謙二さんの戦前、戦中、戦後史。学者である小熊さんのお父さんなんだから、やっぱり学者だったりインテリな人なんだろうかとおもいきや、小さな商店を営む祖父母に育てられ、ご本人も零細企業を転々として最終的には小さな会社の経営者になったものの、基本的には学問や大学とは無縁の人だったそう。(小熊さんが学問の道に進んだのは、小学校教師の娘で教育熱心だったお母様の影響っぽい)

基本的に謙二さんのような一般的な庶民は、自らが体験した記録を残さない。だから戦争体験談といえば、高級将校や学生のようなインテリ層か、または自分の体験に強烈に思い入れのある人という偏ったものになりがちだった。

本書は、謙二さんの戦前、戦争中、戦後の記憶を、現代史家の林英一さんがインタビューし、それを小熊英二さんが当時の社会状況や政治的な背景を交えて文章化したものです。

軍部の愚かさは読んでいて怒りしか湧かないわ!謙二さんも言っていたけど、多くの人を死なせ、苦しめたこいつらがなんで反省もせずにいるのかと思う。ちゃんと責任とらせないから今みたいに「あの戦争は正しかった」みたいなことが性懲りもなく社会に出てくるんだな。

日本は戦争で被害を受けた国民への保障をしない方針(戦争の被害は国民が等しく受忍)で、保障らしきものはあくまで戦前からあった軍人恩給制度を適用させることだった。だから愚かなことをして責任取らなきゃいけない連中ほど階級が上だから恩給が手厚くて、バカな連中のせいで被害を受けた下の階級の人ほど手薄い。しかも当時、朝鮮や台湾にいて日本の戦争に巻き込まれた人はさらにその枠外という、ひっどいものだった。私はそれを恥ずかしながらこちらの本で初めて知りました。

こちらの本で画期的なのは、戦争体験、収容所体験で話が終わるのではなく、それらを体験した人の戦後から現在にかけての人生。戦争、収容所体験がその後の人生にどのような影響を及ぼすのかを追いかけているところだと思う。

決して愉快な話じゃないのに、私なんでこんなにスイスイと読めちゃったんだろう。なんかそういうスイスイ読み進めたくなる魅力があるんだろうな。

 

 

『銀座旅日記』常盤新平

銀座旅日記 (ちくま文庫)

なんてことない日記なんだけど、文庫本で持ち歩くのにいいし、なんとなくカバンに入れて読み終わっちゃった。

 

常盤新平さんってなんとなく若いイメージがあったけど、というか、単に常盤さんの若いころのエッセイを読んだだけだったと思うんだけど、こちらの本は晩年のおじいさんになってからの常盤さんの日記です。2003年から2006年まで。

 

なので、日記では日常的に病気ネタや老化ネタが登場します。あと「もう死にたい」的なこととか。

 

私はなんだかんだ言って、食べ物ネタに惹かれて読んでいった感じ。朝食メニューとか外食メニューが美味しそうで読んでいて楽しかった。出てくるお店をメモして探訪してみようかな、などと読みながら考えていたんだけど、終盤になると、けっこう「馴染みのお店が閉店した」みたいな話が出てくるので悲しい。

 

あと、登場するご家族の関係が複雑で、よく飲み込めなかった。前の奥様と現在の奥様は飲み込めたんだけど、お嬢さんが何人いらっしゃるのかとかがいまいちわからなかったんだけど、余計なお世話かw