ジェイン・オースティン『エマ』 バルーシュ型ランドー馬車!

ジェイン・オースティン『エマ』めっちゃ面白かったー。『細雪』が気に入った人なら面白く読めるんじゃないかな。女中さんとか使用人がいる時代の上流階級ホームドラマで、エマの方がよりコメディ少女マンガっぽい。

主人公のエマは大きなお屋敷で、人は良いけどちょっとボケの入ったお父さんと二人暮らし。今までは家庭教師のミス・テイラーという気も合う話も合う女性が一緒だったんだけど、彼女はミスター・ウェストンと結婚して離れて暮らすことになっちゃったから「あー、これからどうしよう!さみしいなあ」という状態。ちなみにエマはミス・テイラーとミスター・ウェストンを縁結びしたのは自分だと自任している。

そんなとき、ハリエット・スミスという可愛くて素直な少女と出会う。エマは彼女を妹分的にかわいがり「今度は彼女に素敵な縁結びをしてあげよう!」と張り切る。ハンサムで人当たりの良いミスター・エルトンをハリエットに引き合わせようとするんだけど、昔から家族ぐるみで仲良くしていたミスター・ナイトリーに「君はミス・スミスを不幸にする」なんて言われてしまう…という感じで話は進んでいきます。

タイトルの「バルーシュ型ランドー馬車」は、下巻になって登場するエルトン夫人の自慢話にしょっちゅう登場するもの。今だったら「うちの車で」でいいところを、いちいち「うちのベンツのEクラスで」と言うようなものなのかな。こういう世界よくわからんけど。あとはエルトン夫人が夫を気取った変な呼び方で言うのもじわじわきた。上巻も面白いんだけど、下巻になってこのエルトン夫人や、エマがライバル視しているジェイン・フェアファックスたちが出てきてからまた一段と面白さがアップする気がします。(上巻から出てきていたミス・ベイツのおしゃべりも下巻になってパワーアップする気が)

主人公のエマは実は鼻持ちならない困った人で、冒頭では「美しく裕福で聡明」だと紹介されるものの、物語が進むにしたがってどんどんメッキがはがれていく。(なまじ頭の回転が速いから、一つの勘違いから電光石火のごとく思い込みが広がってしまうのも面白い)だけど、基本的に「善き人間でありたい」という意識があるし、失敗して人を傷つけるたびに「頭を丸太で殴られたように」ショックを受けて反省するから憎めません。

それから基本的に登場人物がみんないい人なのもいいなあ。悪人って言ったらせいぜいエルトン夫妻くらいなもので、それも小悪人という言葉がぴったりくるくらい。(とはいえ、階級意識がかっちりあるのは、今の時代からするとどうかとは思うんだけどね)

【90年代懐古ネタ】『Make up magazine』 と『How to make up』

妊娠出産以来、体重があまり戻らなくて顔まわりももっさりしている気がする。体重の方は「気がする」どころではなく明確に数字で出ている、顔まわりのもっさり感は、「もっさりしている」と言い切ってしまうと確定してしまいそうで怖いので「気がする」を付け足した。

赤ちゃんのお世話も少しばかり慣れてきて余裕が出てきた。このあたりでテコ入れをしようではないかと、amazonでちょうど買い足そうと思ってたマスカラを物色してみたり、図書館で『やせる力 骨ストレッチ』『静脈マッサージで、小顔!』を借りてきたりしている。

ただ、年をとって経験を積んできたせいか、10代20代の頃のようなコスメや美容法への絶大な信頼感とそれに続くワクワク感がないんだよね。「こ…これさえやれば(or買えば)きれいになれるのか!」という期待から続く愚直な行動力がすっかりなくなってる。それだけ賢くなったというわけでもあるんだけど、あの美容に邁進できた頃が懐かしい。

そんなときに思い出したのが90年代に夢中で読んでいた『Make up magazine』 と『How to make up』。どちらかは『25ans』の別冊ムックで、たぶん反響が大きかったので季刊誌にしたんじゃないかな。で、どちらかはその成功を横目で見て真似して出した…という認識。間違ってたらごめんなさい、特に後者。

齋藤薫さんがスター執筆者で、野毛まゆりさんとか渡辺佳子さんとかも活躍していて藤原美智子さんとか嶋田ちあきさんとかがメイクしてて…。あとスターコスメみたいなのもよくあったよね。イヴ・サンローランの青みピンクの口紅とかランコムのマスカラとかエスティ・ローダーの美容液とか。あと毎号毎にコスメ界の大型新人みたいなのが紹介されていて、あれ読んでいちいち「こ…これさえ手に入れればきれいになれるのか」とワクワクしていたという…。確か2ヶ月に1回の発売で、毎回心待ちにしてたな。

海外コスメだけじゃなくて、北原美顔とかオパール美容液とかハリウッド化粧品酵素パックとか国内のマニアックなコスメの紹介も楽しかったなあ。ちなみにこの三つは全部買ったよ。当時はニキビと毛穴と脂性肌が悩みで、それらをなんとかしたいというのもあったんですよね…。

当時、世間にまだちょっと残っていた「あんまりコスメのことばかり考えるのは恥ずかしい」みたいな遠慮が、このあたりから「コスメ大好き、コスメフリーク」と明るく吹っ切れていったのでは。昔の女優さんやアイドルは「お化粧とか興味ありません。美容に関すること?何もしてません」みたいな答えが多かったのに、このあたりから自分の美容ネタを熱心に話す人が増えてきたように思う。

ブログ書くの何ヶ月ぶりかという状態だというのに、

はてなブログは私のログイン情報を覚えていてくれた!セキュリティのことを考えたら悪いことなのかもしれないけど今の私はすぐにアクセスできる方が嬉しい。

7月7日に出産して8月の終わりまで実家にいた。出産の様子や里帰り期間の育児の話(含グチ)などは散々ツイッターに書いたけど、改めてこちらにも書いておいたほうがいい気がする。

最近何も創造的な活動をしていない。日々の家事も創造的と言えばそうで、片付けや掃除がうまくいったときは気持よく満足なんだけど。ちなみに料理の腕は落ちている気がする。ここもうまく流れに乗ると充実感が半端ない。「流れに乗る」というのは、料理は一回一回のものではなく、いかに食材を使い回すかというのがあるから。

文章を書くとかマンガとかイラストとか、そういった人に働きかけるものとか、自分が生きてる刻印みたいなことをしたい。

その手始めにこうやってブログを書くことにした。その矢先に早くも眠くなってる。少し寝ちゃおうかな。でも寝ると一日が早く終わってしまってもったいない。

健康優良妊婦だったのがここに来て雲行き怪しく

今までの検査ではいたって健康な妊婦でしたが、ここに来て血圧が急上昇。私自身は「臨月で血圧が上がるなんてよくあることらしいから別にいいんでそ?」くらいに思っていたのですが、血圧の数値を見た時の看護師さんの対応や、色々な人の体験談を検索したところ、どうも血圧が上がってある数値になったら入院させよというガイドラインがあるらしい。で、その数値は150くらいらしい。そこに尿蛋白があるか否かも関係してくるらしい。あ、これちゃんと確認したわけじゃないから、あくまであやふや情報として読んでくださいね。

私も出産までにしたいことが色々あり、それらを早々に切り上げて出産まで入院、病室でひたすら安静なんてことにはなりたくない。

なので、とりあえず血圧が上がらなさそうな塩分の低い大人しめの食事を量少なめに食べるようにしようと思います。あと、血圧もマメに測っとこう。今まで血圧といえば低血圧だったので、高血圧対策は全くの盲点だった。検索してみたら、血圧測定器は役所にもあるらしい。なので、明日から用がなくても病院に行って血圧を測るか、市役所か区役所の血圧測定器で血圧を測ろうと思います。

『フィリピンの小さな産院から』

 

フィリピンの小さな産院から

フィリピンの小さな産院から

 

夫の仕事(植林NPO)についてフィリピンにやってきた日本人助産師の冨田江里子さんが、現地の産科事情の酷さに、見るに見かねて無料のクリニックを開いた。その活動が記された本。フィリピンの酷い医療事情については、以前にフィリピンで語学留学をしている方のブログである程度読んでいたものの、それでもお金を持っている日本人についてはかなりマシな方で、現地の貧困層の人々にとっては信じられないほど過酷で、医療があってないようなもの。まず、国民皆保険なんてないから医療費が高額。先にお金が用意できなければ、どんなに緊急を要する症状でも診てもらえない。本文の描写を見ると、医師、看護師が貧困層の人々を見下しているようで、いざ医療を受ける段階になっても扱いが酷い。弱っている人にそんなひどい扱いをして良心が痛まないのか不思議になるくらい。

 

ご承知の通り助産師は帝王切開を始めとした医療活動ができないんだけど、医療事情がとことん劣悪、そして貧困層の人々も病院に行きたがらないので、冨田さんは助産技術と最低限の医薬品(本には詳しく書かれていないものの、子宮収縮剤や点滴程度はあるらしい)でなんとかこなしていかなくてはいけない。お金をかけられないので必要に迫られて漢方やハーブなどの民間療法も取り入れている。

 

最近、産婦人科医の宋美玄先生の本をずっと読んでいたので「やっぱり出産は設備が整ってどんな状況にも対応できる病院が安心!」と思っていたんだけど、こちらの本を読むと「いやー、お産は自然の営みなんだなあ」と思ってしまう(単純)。でも、日本の助産院のように、助産師さんが妊婦さんを妊娠初期・中期の頃からケアして…という、日本でイメージするスローでナチュラルな出産という感じでは全く無い!
 
まず、多くの妊婦さんが出産直前とか、何か重い症状に我慢ができなくて、みたいなとんでもない状態でやってくる。日本でも「産婦人科の定期検診を全く受けずに、産経づいた状態で突然救急病院に運ばれてくる」という人がいると聞いたことがある。日本の医療設備の整った総合病院でさえも、そういう「どんな状態なのか全くわからないまま運ばれてくる妊婦さんなんかとてもじゃないけど対応できない」らしいのに、設備もなく医師でもない冨田さんはここフィリピンで日常的にそういう妊婦さんに対応している。ストレスで死んじゃいそうだ…。
 
で、そこまでやって現地でさぞ感謝されているとおもいきや、こちらもかなりヤバイ。まず、地元の産婆さんからは商売敵に思われてるし、何回か出産介助したり病気の対応をして「信頼関係ができてきたかなあ」と思ってた人がお金欲しさにデマ「このクリニックでこんな酷い目にあった」とかを流し始めたりして裏切られることも度々ある。具合が悪い人に生活習慣の指導をしてもほとんど守ってくれない。粉ミルクの危険性や母乳の大切さを切々と訴えてもまったく聞く耳を持ってくれないとか。日本の場合どちらかというと母乳信仰が強いけど、フィリピンは大手食品メーカーの宣伝などもあって粉ミルク信仰が強いんだって。ちなみに、粉ミルクがなぜダメかというと、これは現地事情によるもので、まずは粉ミルクに必要な清潔な水を確保するのが難しくい。そして哺乳瓶の消毒なども適当に済ませしまったり、粉ミルクは高価なので、一度作った粉ミルクが残ったら「もったいないから」と室温でずっととっておいて赤ちゃんに飲ませ続けたり衛生管理も酷いので、粉ミルクから健康を崩すケースが後を絶たないのだとか。それだったら、母乳が一番安全ということらしいです。
 
逆に「この人には何言ってもムダ」だと思っていた、性懲りもなく同じ失敗を繰り返していた人が、あるときからちゃんと冨田さんのアドバイスを実践するようになった、ということもあったそうです。
 
冨田さんのすごいところ(って、上記までのことだけでも十分すごいんだけど)は、やっぱり現地の人たちの考え方や事情を尊重すること。日本の助産技術では「いまどきこんなことしないよ!」というようなことでも、それが現地の人たちの間で浸透していることだったりすると(例えば、生まれたての赤ちゃんの沐浴)、それが害でなければ現地の人達が納得いくようにそちらに合わせる。日本の常識を押し付けない。この辺りの見極めって難しそうだよなあ。現地の人の事情や常識を優先すると言っても、それが目をつむっても大丈夫なものなのか、それとも害にしかならないものなのかもきっちり判断しなければいけないしね。
 
さっき、フィリピンの医療事情で「医師や看護師は貧しい人たちになんぜあそこまで冷酷になれるんだろう」的なことを書いたけど、フィリピンでは社会階層が強固でほとんど階層間の移動がないため、お互いがお互いのことを全くわからない、というのがあるそう。そして、エリート、富裕層貧困層について「あの人達ってなんであんなにバカなの!貧しいくせに子どもボコボコ作って」という認識らしい。ただ、私も読んでいて「このバカ親!なんで子どもの世話もロクにしないしネグレクトするくせに子ども作るの!」と浅はかにも思ってしまいました。日本はまだフィリピンほど露骨ではないけれど、こういう意識は確実に存在するな…と思いました。
 

今日買った産後グッズ

 

 

 

メデラ(medela) ピュアレーン100 7g 【日本正規品】

メデラ(medela) ピュアレーン100 7g 【日本正規品】

 

 いまのところ、赤ちゃんグッズ産後グッズは全部amazonで買ってる。休日になかなかお店に行く機会がないのと、休日は図書館巡りをしてしまうのであまり荷物を重たくしたくないというのがあって。それからやっぱりレビューを参考にしてしまうんだな。

今日は上の二点を買った。実はまだ赤ちゃんに会いたいとか赤ちゃんへの可愛さはピント来ない。実感がわかない。そりゃあそうだよね、赤ちゃんはお腹の中で存在感を増してきたとはいえまだ自分の体の中なわけだから。というわけで、赤ちゃんのおくるみとか沐浴用浴槽とか買わないといけないんだけど、どちらかというとこういう自分のボディケアのほうに関心が向いてしまう。あと、赤ちゃん用の基本的なグッズは病院の中で教えてもらって、病院の売店で買ったほうがいいかなという考えもあって。

出産後、おっぱいが痛くなるという体験談を読んで怖くなった。その前に陣痛と出産も怖いんだけど笑 というわけで、それを事前に防ぐべく上記の二点を買った。あと赤ちゃん用の授乳クッションとガーゼのおくるみみたいなのを買おうかなと思ったんだけど、買い物を続けてると頭がパーンとなるので、また時間をおいて冷静になってから買うことにします。

村上春樹『職業としての小説家』

 

職業としての小説家 (Switch library)

職業としての小説家 (Switch library)

 

 

小説家に向いてる人とは
スマートで効率的にものごとを考える人ではなく、愚鈍に考え続ける人。文学以外の分野で活躍している人が、そこそこ面白い小説を書いても後が続かないのは、まさに効率の悪い活動だから。
少しの情報で「あれはこういうことだよね」「あの人はこういう人ね」とサクサク結論を出していくような人に小説家は向かない。結論は保留する。

小説家になるための訓練

↑村上さん自身はこの言い方はちょっと違うな…と思っておられるものの、よく若い人たちにこれを質問されるそう。小説家は訓練をしてなるものではないけれど、もしこのような質問をされたら以下のように答えているとか。それは本をたくさん読むこと。まわりの人々をよく観察し、細かなディテールや印象をたくさんストックすること。これらが物語の材料になっていく。

オリジナリティのあるものとは

真にオリジナリティのあるものは、リアルタイムでは大きな反発を受けたり、あまり世間には受け入れられなかったりする。ビートルズでさえも、出始めは文化的エスタブリッシュメントから憎まれ、あちこちでレコードを燃やす運動?なんてことも行われた。ストラヴィンスキーは聴衆に理解されず、マーラー交響曲は当時、陰鬱で退屈だと見下されていた。逆に、そのときは持て囃されても時の洗礼に耐えられない作品もたくさんある。時間に切磋琢磨されてなお生き残るものが素晴らしいというのは、ノルウェイの森のナガサワさんのセリフを思い出します。

村上さんが小説を書こうと思った瞬間

村上さんが小説を書こうと思った瞬間の有名なエピソード。よく晴れた気持ちの良い日、神宮球場の外野席の芝生にビールを飲みながら寝っ転がっていてふと小説を書こうと思い立ったこと。

バブル時代の景気の良い話

バブル時代に持ち込まれた景気の良い話。「私が所有するフランスのシャトーで作品を書きませんか?」とか「世界中どこでも好きなところに行って紀行文を書いて下さい」とか。

賞にまつわること

村上さんが日本の文壇や出版界から長年批判され続けてきたこと。頼んでもいないのに幾度か芥川賞候補になり落選し、勝手に残念がられたこと。(これ、最近ではノーベル文学賞だよなあ。毎回勝手に期待されて勝手に残念な人扱いにされてるのを見ると「…もう、許してあげて…」と思ってしまう笑)「村上春樹はなぜ芥川賞が取れないのか」みたいなタイトルの本があったが、さすがに自分が買うのは恥ずかしいので買わなかったこと。

原発への考え方

原発への考え方。仮に原発が推進派の人々の言うように注意深く厳重に管理されたとして、それでやっと「是か非か」の議論のテーブルに着くことができる。ただ、今のように営利企業が運営し、庶民への共感や同情を持ち合わせていない官僚組織が管理しているのなら話にならない。

アメリカ市場へ行ったときの話

アメリカ市場への参入。当初、講談社アメリカという会社が村上春樹の本をアメリカに紹介した。この会社は講談社と名乗っていたものの、社員もアメリカ人が多くほとんど現地企業のようだった。この窓口により村上作品はアメリカで好評を得たものの、それはあくまでカルト的な人気、ごく一部のマニアの中での話だった。その後、村上さん自身が動き、エージェントを見つけて精力的に営業活動をしていく。文化的権威のある雑誌『ニューヨーカー』に作品が取り上げられるようになる(この辺りの前後関係をちょっと忘れてしまった)といった感じでアメリカで足場を築いていくエピソード。文面にはあまり書かれていなかったけど、日本の出版界で常にチクチク批判されていたこととかそういう不満もあったのかな、なんて思った。