『ネオリベラリズムの精神分析 なぜ伝統や文化が求められるのか』

合理性だけで社会を設計すると、実質的には非合理的な社会になってしまう。人間の愚かしさや非合理性を折り込んだ社会設計の方が人の暴走を制御できる。それは長らく伝統や文化が担ってきた。しかし現代は科学的合理的知が優勢で、伝統や文化はあまり評価されていない。

それは今までの伝統や文化の継承の方法に問題があったからではないか思う。学問的な場ではなく日常的な場面での伝統や文化の継承を思い起こしてみると、意味のわからない決まり事を「昔からやってることだから」と無理矢理させられることが多いように思う。そういうやり方に多くの人が嫌気が差したからだろう。

本書のようにその必要性を論理的に説明されれば、伝統や文化は再評価されていくのではないだろうか。

伝統や文化を現代にあわせてバージョンアップしていくことだってできる。

合理的に自己判断して生きるには、伝統や文化、それから人生への無邪気な信頼(明日も明後日も人生が続いていくと無邪気に思えること)といった非合理なフィクションの掌の上に乗ることが前提条件なのだ。