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デモに効果はあるのか

昼間、このようなツイートをした。

「デモとか街頭で演説とかしても意味がないし、ああいうやり方では一部の人が熱くなってるだけで多くの人は関心を持たない」みたいな話はよく聞くし、そうなんだろうなとも思うけど、じゃあ他にどうすればというと難しいよね。私もずっと考えてるけど答えが出ない(多分言ってる人もわからないと思う)

その発端は、タイムラインで「安保のときもPKOのときも大騒ぎしたけど戦争なんて始まっていない、秘密保護法で騒ぐなんてバカバカしい」「デモなんて意味がない、効果がない」そのような意味のツイートを数人の方がしているのを見たことだ。

「デモに効果はない」

この場合の「効果」とはなんだろうか。
例えば、ここで言っているデモとは特定秘密保護法の成立を阻止することを目的としたものだ。それが可決されればそこについては効果がなかったと言えるだろう。

ただ、それをもって全てを投げ出すのはあまりにも浅薄だ。

そもそも社会というのはそうわかりやすく変わるものだろうか。

昔から社会は行きつ戻りつしながら変わっている。あの有名なフランス革命だって、その後反動が起こったりナポレオンの甥だとかいう妙な人間が圧倒的な支持を受けて皇帝におさまったり民主的な議会がつぶされたりしているではないか。革命が起こってすんなりと平和に収まっているなんて聞いたことがない。みんな揺り戻しがあったり、しばらくはゴタゴタと落ち着かないものだ。

社会はじわじわ変わる。

囲碁はちょっとずつ自分の陣地を広げていく。勝負はオセロのように白か黒かで全てが埋め尽くされるわけではない。デモも選挙もそう。社会を変えるとはそういうことだ。

また、こういう喩え方もできる。
真っ白なキャンバスに絵を描くのは簡単だが、キャンパスには既に絵が描かれている。それを一気に塗りつぶして好きなように描くことはできない。平和な形で社会を変えるには、このように既にびっしりと絵が描かれているキャンパスに少しずつ筆を入れて修正していくしかない。

デモや社会運動でわかりやすい効果を求めてしまう。それは一つ前に投稿した「再現フィルム症候群」の亜種ではないかと思う。テレビ番組の再現フィルムのような、わかりやすい答えを求める気持ちだ。それを止めろとは言わないが、そればかりじゃないんだよ、と言いたい。

例えば、いまこうやって私が平和で自由に過ごせているのは、過去に運動をした人たちがいるおかげだ。奴隷のような暮らしをしなくてもいいし、好きなことを発言できるし、情報にも自由にアクセスできる。過去に女性運動をした人たちがいたおかげで参政権もあるし、昔の人に比べたら女性であることで奪われる自由もとても少なくなっている。明治時代の女性作家樋口一葉の日記によると、当時の女性は図書館に行くという現代から見ればほんのささやかな行動でも、緊張の伴う大変な行動だったそうだ。

その昔、デモや社会運動をしていた人たちも、当時は凄まじい無理解に合っただろうし、そうたやすく権利を勝ち取る実感は得られなかったはずだ。

私のような「高貴な生まれ」ではない一般庶民がこうやってネットで好きに発言できる生活をしていられるのは、過去に自由や平和を求めて血を流したたくさんの人たちがいるからだ。その屍の上に乗っかり彼らが築いた平和や自由を享受しながら「デモとかバカじゃないの?」とはあまりに不遜だろう。

「安保やPKOのときも騒いでいた連中がいたけど結局戦争なんて起こらなかったじゃないか」
いまこうやって無事に平和に踏みとどまっていられるのは、まさに安保やPKOで頑迷に抵抗した事実があったからではないのか。それらの運動には共感できることばかりではないが(全ての人が共感できる運動というのもまた幻想だろう)、とりあえず、戦争に向かいそうなことを察知したらこれだけの抵抗に合うことを示せた。現にデモに否定的な人だってツイートするほどその抵抗運動の存在を認知している。

デモや社会運動というのは「すぐには結果がわからないけど、気がつくと変わっている」そういうものだ。逆に自由や平和や豊かさを奪われる過程も「すぐには変化はわからない。気がつくと変わっていた」だと言えるだろう。