『インドネシアのムスリムファッション-なぜイスラームの女性たちのヴェールはカラフルになったのか』

 

 世界一のイスラム教徒を擁するインドネシア。今でこそヴェールをかぶる女性が多くなったものの、実は90年代ぐらいまでこのようなイスラム教徒らしい格好をする女性は少数派で、むしろ「変わってる」「堅苦しい」などという目で見られていたそう。

それがなぜ現在のように多くの女性がイスラム教徒的な服装に身を包み、しかもおしゃれに進化していったのか。たしかに不思議だわー。

インドネシアでは以前からイスラム教徒が多数派だったんだけど、あまり自覚のない、めちゃゆるいイスラム教だったんだよね。

それが、1970年代、アラブ世界で始まったイスラム復興運動の波が、インドネシアにやってくるあたりから変わり始める。大学生をはじめとした都市部の若者を中心に、インドネシアでもイスラム教を見なおそう、ちゃんとイスラム教を学んで実践しようという動きが始まるの。

スハルト政権時代は独裁政権だったので、社会運動はどんどん弾圧されていくんだけど、大学でイスラム教を広める活動も、もれなく弾圧されていくんだよね。でもイスラム教、宗教ということで他の社会運動よりは少し大目に見てもらう。ただし、やっぱりそこは限定した感じで、公教育の場で女子学生がヴェールをつけたり体を隠す服装をすることは禁止されたんだって。

こんなわけで、細々とイスラム教を勉強したり布教する活動(ダアワ運動)は続いていくんだけど、そのうちにスハルトが失脚。民主化が進み、社会運動も復活し、ダアワ運動もより活発に。女子学生がヴェールをかぶり、体を覆う服装をすることも解禁された。

ということで、このスハルト政権後あたりからポツポツとヴェールをつけて通学する女子学生が現れ始めるのね。彼女たちがなぜそれを始めたかというと、多くは「素敵な先輩に憧れて」という。それは、大学でのダアワ運動の一環で、大学生が年少の若者たちにイスラム教を教えたり相談に乗ったりとかしてたからなんだけど、中高生からみたら、そういう大学生って眩しく見えるよね。また、こういう運動が盛んな大学は名門校が多かったとのことだし。

あ、もちろんヴェールの前に、イスラム教の教えを実践していきたい宗教心という大前提があるからね。印象的だったのが、ある女子高生がダアワ運動を受けて、イスラム教にもっとコミットしていこうと決心したことを語っているときに、「私はいままで何のために生きているかわからなかったんだけど、イスラム教を勉強していくうちに、日々の生活それ自体に意味があることがわかった」というもの。ちょっといま本が手元になくうろ覚えなんだけど、だいたいこういう意味だった。それがね、私の心にとても残ってる。

で、まずこういう先駆者たちの存在があって、そして次のブレイクスルーは、メディアとファッション業界の変化。ムスリムイスラム教徒)向けの雑誌が創刊され、ムスリムファッションのブランドを立ち上げるデザイナーが現れ、ユニクロなどのアパレル大手もムスリム向けの服を作り始め…と、どんどんビジネスが育っていく。この辺り、読んでいて興奮しますよ!しまいには、それらのムスリムファッション向けのビジネスを政府が支援するまでになるんだよね。日本のクールジャパン政策みたいに(いや、これと比べたら失礼か)、インドネシアが世界のムスリムファッションの中心地になるべく、様々なバックアップをしていく。

それから、ムスリム向けの小説。日本で言うライトノベルやジュニア向け小説みたいな分野がインドネシアにもあって、そこで、「少女が様々な経験を経て、良いイスラム教徒になっていく」みたいな、イスラム教をテーマにした作品が多数生まれていく。最初は奇異な感じがしたけど、よく考えたら西欧でキリスト教をテーマにした作品ってたくさんあるからね(『アルプスの少女ハイジ』も、原作は「おじいさんが神の存在に触れて改心した!」みたいなキリスト教色が濃い)。それが一時期かなり盛んになって、それ専門の雑誌まであったんだって。

で、すごいのは、これらのビジネスに携わっているムスリム女性たちも、単なるビジネスではなく、やっぱりその人なりのダアワ運動だとしているところ。大衆にこうした運動が広がっていくのは、やっぱりサブカルとかファッションというのは欠かせないんだなあ。