『小林カツ代と栗原はるみ』阿古真理 これ読んだらカツ代さんに惚れます!

 

小林カツ代と栗原はるみ 料理研究家とその時代 (新潮新書)

小林カツ代と栗原はるみ 料理研究家とその時代 (新潮新書)

 

 おもしろかったー!表題のお二人だけではなく、城戸崎愛さんから辰巳芳子さん、コウケンテツさんから高山なおみさんまで、縦横無尽に取り上げられているのですが、カツ代さんの記述が一番愛を感じてしまった。読んでて感動しました。

カツ代さんの登場で、家庭料理界はドラスティックに変わるんですね。時間のある人が手間ひまかけて丁寧に作る(ことを強いる)料理から、不要な過程をどんどん省いて簡単でおいしいレシピが世の中に出回っていくんです。それに、今までの主婦像、母親像で読者を縛ることなく、「食の基本はやはり家の料理です。でも、必ずしも母親が作らなくてはいけない、ということはありません。(中略)誰でもいいから家の人がおいしい料理を子どもに作ってあげることです。それが子どもの記憶にしっかり残るんです」とか、福祉施設の子どもたちに決して「お母さんがおにぎりを作ってくれたでしょ」などという話はせず「いつでもあなたたちは、優しいお母さんになれるのよと話します」とか、合理的で前向きで優しい!

こちらの本の著者、阿古さんのカツ代さん評は「小林の活躍は料理の世界だけにとどまらない。反戦と護憲の立場に立ち、動物の保護活動に力を注いだ。福祉や教育にも関わり、求められれば広い視野から発言した。夫を主人と呼ばない、仕事相手にも先生と呼ばせない、対等に接する姿勢を貫いた。一本筋の通った言論人だったと思う」というもの。カツ代さんかっこよすぎる!

カツ代さんは大阪・船場のお嬢さまで、子供の頃から色々な食に親しみ舌は肥えていたんだけど、家庭料理としてレシピ化する際には誰でも手に入る調味料で、ということで、カルディや成城石井があちこちにできてる現代では、ちょっと物足りないかなあという面もある。そこで息子・ケンタロウの登場なんですよ!

ケンタロウレシピはカツ代さんの軸を継承しながらも、今時の食材も使いこなしてよりエッジの効いた、そして男子が好きそうなガツンとした濃い目の味になるんですよね。

はー、ケンタロウさんといえば、テレビ東京で日曜朝にやってた男子ごはん好きだったなあ。国分さんとの掛け合いも和めたし。男子ごはんは栗原心平さんで今も継続中なんだけど、ケンタロウさんが事故で降板してからショックでずっと見てないのよね…。

あとね、栗原はるみさんの章でこれはメモして記憶しておきたい!という箇所があったので引用メモします。

「愛は自然な感情と思われがちだが、実は違う。始まりは自然に生まれたものかもしれない。しかし、持続させるのは意志である。親子も、夫婦も、そして友人など他者との関係も、好きなだけでは続かない。相手を思いやり、こまめに自分の気持を伝え相手を受け入れる。その努力を互いに続けなければ崩壊する」

これは、皆のアイドルでいなければならない栗原さんが、家族との関係を疎かにせず大事にする、という流れの中での一文。栗原さんがこう考えているというより、阿古真理さんの考えだと思う。絶対覚えておこう!

あとねあとね、これ読んだら鉄のフライパンが欲しくなった!

『レッドアローとスターハウス もうひとつの戦後思想史』原武史

 

レッドアローとスターハウス―もうひとつの戦後思想史

レッドアローとスターハウス―もうひとつの戦後思想史

 

 分厚い本なんだけど、熱心に読んでしまいました。

西武の総帥・堤康次郎は、ソ連大嫌いアメリカ大好きで天皇願望があり、西武帝国の天皇として君臨していた人ですが、高度成長期、そのお膝元の西武線沿線では団地を中心になぜか革新政党の支持者が増えていき、社会運動も盛んでした。しかも堤康次郎が「日本のディズニーランドにしよう」と作った西武園の隣、狭山公園ではアカハタ祭りまで行われていたそうです。

…本書で書かれてたアカハタ祭りなんか楽しそうでしたw歌ったり踊ったりして。検索してみたら、今もやってるんですね。

 

『安井かずみがいた時代』

 

安井かずみがいた時代 (集英社文庫)

安井かずみがいた時代 (集英社文庫)

 

 安井かずみと言えば、昔エッセイを何冊か読んだ。覚えているのは、「若いころマスカラが大好きで沢山つけてたら睫毛が抜けてきたので今はマスカラをやめてアイシャドウだけぬってる」と「女は30代からが本番で、20代の男は30代の女に憧れるものだ」というところ。

安井かずみとその時代』を読むと、この発言はこういうことだったのかーとわかる。まずマスカラの件だと、若い頃の写真を見るとほんとにアイメイクが濃いwあと「若い男は30代の女に憧れるものというのは、年下の夫である加藤和彦さんと安井さん本人のことを言ってるんだなあと。

この本は、安井かずみさんと関わりのあった人から当時の思い出やエピソードを聞き書きしたもの。1章ごとにいろいろな人が登場して思い出を語っているので、安井さん像がいろんな角度から照らされる。とはいえ、安井さんの人生の流れという基本的な事実は変わらないので、加藤和彦さんと結婚する前と後で180度キャラが変わった件とか、安井さんの死後すぐに加藤和彦さんがオペラ歌手の中丸三千繪さんと結婚して安井さんの関係者から怒りをかった件とか、毎回出てくるから覚えちゃったw

私が読んでいたエッセイの安井さんは、まさに加藤和彦さんと結婚してからの後期の方で、本に載っていたご本人の写真を見ると「日焼け系お金持ちマダム」みたいな感じだったので、 「めちゃくちゃセンスがよかった」とか「フランス映画に出てくる人みたいにかっこよかった」という 若いころの逸話 があまりピンとこなかった。けどこちらの本で当時のより詳細なエピソードを聞いたり、写真を見たら納得しました。でもほんっとに結婚前と後のスタイル(服とかメークとかヘアスタイル)がまるっきり違う。 結婚前と後では交友関係もガラッと変わってしまって、安井かずみさんの親友ということでよく名前の出てくる加賀まりこさんとコシノジュンコさんは結婚前の付き合いで、結婚後は疎遠に。逆に結婚後の社交仲間は、大宅映子さんとか玉村豊男さん。結婚前の安井さんと仲が良かった人たちは、結婚後の変貌ぶりに違和感を覚えたという話がよく出てくる。

ウーマンリヴを体現するような自由でとんがった女性から、肩の力の抜けたおしゃれで余裕のある生活をする女性へというのは、時代の流れともリンクしていて、安井さんと加藤和彦さんとのカップルは、デパートの広告ポスターに使われたりと、ある種、アイコン的な存在だったそう。でも、理想の夫婦と思われていた二人も、けっこう無理してたんじゃないかとか、周囲からのそういう証言が出てくるんだよね。この点については、吉田拓郎さんが一番辛辣だった。

安井さんと加藤和彦さんには揺るぎない美学があるんだけど、「人から見て素敵だと思われるカップルでなければならない」とか、「妻は夫をたてなばならない」とか、「海外でも通用する日本人でなければならない」とか、その美学というか美意識でがんじがらめになっているところはすごくありそうだった。そのあたりは周囲の人たちからの話でもよく出てくる。

 

『オリーブの罠』 オリーブに出ていた人たちはオリーブを愛していなかった!

 

オリーブの罠 (講談社現代新書)

オリーブの罠 (講談社現代新書)

 

 雑誌「オリーブ」でも連載を持っていた酒井順子先生の本。酒井さんによると、オリーブは、当初は同じマガジンハウス(当時は平凡出版)の雑誌である「ポパイ」の女の子版みたいな感じで、サーフィンとかアメリカ西海岸文化を押し出していて、対象も女子大生だったんだって。ところがその路線だとどうも売れ行きが悪いということで、リセエンヌ推し、女子高生対象、文化系という、その後よく知られるようになるオリーブの個性が生まれてくることになる。

ただ、そのリセエンヌ推しロマンティック路線が始まったオリーブでも、平行して、酒井さんの言うところの「付属校カルチャー」というのも推していて、東京の付属校に通うセレブ高校生をさかんに誌面に登場させていた。…そうそう、これ覚えてる!私も1988、89年の約2年、熱心なオリーブ読者だったのですが、よくこういう東京の高校生が出てたわー。それでこの『オリーブの罠』にオリーブ誌面に登場したセレブ高校生のインタビューが載ってるんだけど、オリーブに関心もないしむしろ「地方から出てきたファッション業界とかの関係者が読みそう」とバカにしていたという…。今思えば確かに彼女たちは、オリーブで提案されてたいろいろ工夫をこらしたおしゃれとは真逆の服装だったからな!ポロシャツにミニスカートみたいな。

 

『1984年』をポジティブに読む

ネタバレする予定だからまだ読んでない人はこれ以上読まないで!

 

 

 

 

というわけで読み終わりました『1984年』…。

悲しい最後でした。ウィンストンとジュリアが逮捕されるときって、まだまだページが余ってる半分をちょっと過ぎたあたりなんだよ。だから、残りのページでまだまだ何か良い展開があるんじゃないかとか、ほらブラザー同盟がいるじゃん!とか思っちゃうんだけど、実は、そのときの残りのページの大部分は「ニュースピークの諸原理」って変な論文みたいなやつなんだよ!だから逮捕後は読者である私たちが恐れていた展開なんだよ…(涙)

で、そんな物語のどこの何をポジティブに読むのか。

それは、この本は、権力が人の人間性をいかに破壊して支配下に置くかのテンプレみたいな内容なので、逆にどうすればそれを防げるかが学べるのではないかと思ったんです。例えば、そうだなあ…印象に残っているのが、主人公ウィンストンの公務員仲間(本当は公務員は行政で、党は政党の党だから、党員を公務員と表現するのはおかしいんだけど、この物語世界では三権分立などしてないので、党員だけど公務員というか官僚的な仕事をしている)の辞書を作ってる人が、辞書からどんどん言葉を削っていくのね。なんでそんなことしてるかというと、言葉を少なくすることで人間の思考の幅が狭まるからなんだって。これなんかは逆に、語彙を豊かに持つことが思考の幅が広がるということだよね。だから語彙を豊かに持つぞーってことが一つ。

次は、字面と意味を一致させること。論語の「名正しからざれば則ち言順わず」みたいなことなんだけど、「1984年」の中では、「愛情省」が拷問をする省庁、「真理省」が歴史を改ざんする省庁…というふうに、言葉が本来の意味と真逆になっちゃってるの。なっちゃってるというかわざとそうしてるんだよね。

それから歴史を改ざんさせないこと。「1984年」の中では、権力の発言が常に正しくあるために、過去の間違った発言とか現在の政策と辻褄の合わない発言の記録をどんどん改ざんしちゃうんだよね。だから「なんかおかしい」みたいなことがあっても過去の記録を見て確かめるということができないの。だから「おかしいのは自分の勘違いじゃないのか」ってなっちゃう。これなんかは今の日本でも思い当たることがあってぞっとしてしまった…。もちろんこの物語世界ほど酷くないけど、っていうか酷くないからあー安心という話じゃないよねこれ。少しでも歴史を改ざんする動きがあったら手遅れにならないうちになんとかしとかないと。

あとは、「これおかしいんじゃないか」みたいな直感がけっこう大事なんじゃないかということ。「1984年」のウィンストンはこれで酷い目にあうんだけど、まああの世界じゃ逮捕されて拷問されなくても地獄か…。でもこの「おかしいんじゃないか」という素朴な直感が、頭のいい狂人にすぐに論破されてしまうというのも、ネット世界なんかでもよく見る光景ですよね。

以上、『1984年』をポジティブに読んでみました。

あと余談だけど、自分が母親になったからか『1984年』ではウィンストンの母親の思い出シーンがすごく印象に残ってる。物語の最後のほうでウィンストンが思い出す、家族の幸福な思い出もとか…。空腹とイライラで母親に八つ当たりしていたウィンストン少年に、「いい子にしたらおもちゃ買ってあげる」と、ウィンストンのお母さんが粗末なゲームをおもちゃ屋さんから買ってくるんだよ。それで一緒に遊びはじめたら、それがすごく面白くて親子でたくさん笑ってたっぷり幸せを味わった、というところ。それまでのこの家族の回想シーンが、悲惨で可哀想な感じのものばかりだから余計になんか切ない感じがしちゃうんだよねえ。不遇な妹(赤ちゃん)もゲームの意味は理解できないものの、お母さんもお兄ちゃんも笑ってるから自分も笑ってたというのも泣けた。

赤ちゃんかわいい

赤ちゃんがとてもかわいい。

かわいいんだけど、親としての情愛なのか、子犬やぬいぐるみをかわいいと思う延長線上のものなのかよくわからない。逆に言うと、赤ちゃんをかわいいと思う情愛のバリエーションに子犬やぬいぐるみをかわいいと思う気持ちがあるのかもしれない…。とまあ、いろいろ理屈をこねくり回しているのは、赤ちゃんがかわいいという気持ちをこねくり回してより幸せを味わいたいということなのだ。

『天国は水割りの味がする』都築響一

 

天国は水割りの味がする~東京スナック魅酒乱~ (読んどこ! books)

天国は水割りの味がする~東京スナック魅酒乱~ (読んどこ! books)

 

 

『天国は水割りの味がする』すごく良かったから感想を書きたいな。分厚い本で、延々とスナックのママorマスターのインタビューが続くんだけど、それが面白いの。 みなさんの波乱万丈な人生が面白いし、経営的なことを聞くのも面白い。都築響一さんがまた聞き上手で。読者として「?」というところをしっかり突っ込んでくれるw 

インタビューしたのが2008年とか2009年ぐらいか。ちょうどリーマン・ショックの頃でガクッと景気が落ち込んだ時。ママさんマスターさんたちの多くはバブル前にスナックを始めて、バブル時代のお客さんが押し寄せて朝まで飲んでいたという景気の良い時代を経て今に至る。今ではスナックに来るお客さんたちもだいたい12時前で帰っちゃうんだって。その違いはタクシーで帰るか終電で帰るかなんだけど、でも社会全体の雰囲気とか勢いみたいなものも大きいんだろうね。

そもそもスナックって「縁がないといえばこれほど縁がないのに、日本中どこにでもある」という不思議な存在だよね。だから、本書でそんな謎だったスナック世界が思う存分覗けて楽しかった。スナックはまさにサードプレイスで、職場と自宅の間にある第三の居場所なんだね。で、私なんかはそれを「カフェで一人まったり読書かネット」に求めるんだけど、スナック好きな人はお酒と濃密な人間関係を欲するんだね。

あとスナックの話で面白かったのは食べ物関係のこと。インタビューの中で、よく「ちゃんとした料理が出てくる」という褒め言葉があるので、裏を返すと乾き物しか出てこないお店も多いということなのかな。多くのお店ではきっちりメニューが有るわけではなく、その日の仕入れによってママやマスターが適当に作ってくれるという感じになるらしい。これなんか、その時その時の手に入りやすい食材で作れるからお店側としてはいいよね。メニューがきっちり決まってると、その食材が高騰したり品薄になったりしたら大変だからね。料金システムは飲み放題で5000円というところが多かった。

本書を読んでスナックに行きたくなったかというとならないwでも面白かった。市井の人のインタビューってほんと面白い。