『独女日記3 食べて、忘れて、散歩して』

 

独女日記3 食べて、忘れて、散歩して

独女日記3 食べて、忘れて、散歩して

 

 やっぱりいいわ~このシリーズ。

札幌のマンションでヨークシャーテリアのはなちゃんと暮らしている作家の藤堂志津子さんの身辺雑記。私が60代になる頃ってこんなふうな考え方をしているんじゃないかなあとか、図々しくもそんなことを思いながら読んでます。愉しみや迷いの感覚にとても共感を覚えて、読んでいて引っかかることなくすーっと楽しさを抱いたまま読めてしまうんです。「読んでいて引っかかる」というのは、要は著者の考え方に違和感を持つってことです。私の場合そういうのを忘れてすーっと読めちゃう。

こちらを読んでいて、札幌の四季ってこうなんだーと新鮮でした。いかにこの手のものが書かれる舞台が東京中心に偏ってるかってことですよね。北海道の、昨日まで冬だったのに突然春が来て「桜、桃、ツツジレンギョウ、コブシなどがいっせいに咲き乱れる」なんて、すごく鮮烈な春って感じでいいなあ。

藤堂さんの日常生活での逡巡具合も共感しました。例えば犬のはなちゃんに療法食プラス好物の豆腐や卵の白身を食べさせるべきか否か、「こんなこといけないな」「もう仕方ないか」の二つに心が揺れているところに、「しかし、そこで、また思ってしまう。はなの食べ物のことにかぎらず、これまでの人生、いつだってそのくりかえしできたことを」なんて、そうかーそうだよな!と納得でした。

それから「60代もなかばをすぎ、食べたいものの大半は食べつくし」という文もなんだか好き。

ほどよく知恵と諦めがついた60代、私もこうなっていたいな、こうなってるんじゃないかな、なんて思いながら読みました。

 

男女七人秋物語

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1987年製作のドラマ。私が中学生の時か。youtubeに上がっていたのを、懐かしさを感じたくて見始めたら面白くて最後まで見てしまった。でも主役の良介と桃子…というか要するに明石家さんま大竹しのぶのシーンはだいぶ飛ばしちゃった。だってウザいんだもん!

ただ、周りを振り回してでも一緒になる必然性みたいなものはよくわかります。桃子もわがままで何でも人のせいにしてほんっとクソウザい人なんだけど、よく見てるとそのウザさが発揮されるのは良介の前が主で、他の人の前では意外と大人しくて気を使うんですよねw要するに、良介の前では甘えて心を開いてウザさ全開になっているんだなとわかるんです。

このドラマの見どころはやっぱり岩崎宏美演じる美樹さんですよね!男勝りでしっかりものなのに、好きな人の前だと途端に乙女になってしまうという。おせっかいのきらいもあるけど、めっちゃいい人で、あああ、このまま良介とカップルになって幸せになればいいのに~と思いますよ絶対!釣船店経営という設定もおもしろいですよね。

それから美樹の親友、一枝ね!見た目はもうこの時代の女の人って感じがする。ワンレン、ボディコンで。ちなみにこのドラマを見ると87年当時のボディコンって上品なんですよね。スカート丈もそんなに短くないし、あんまり体の線が出る感じではなかったのね。で、一枝の話に戻ると、ドラマ開始時しばらくは、すごいイヤなヤツなんですよ。自分からは男性を好きにならないのに、周りの男性はみんな自分のことが好きじゃないと気が済まないという困った人で、自分に振り向かない良介を誘惑して一夜をともにしたことを美樹に自慢して泣かせたりと。それが、ドラマ終盤になって、良介が美樹から離れて桃子に行こうというあたりの変貌ぶりがいいんですよ。いきなりしっかりしてきて美樹を支えはじめるんです。今までとちょっと立場が逆転しだすというか。私としてはこの女の友情が一番の見どころです!

あと、けっこう好きなのは、ひかると高木のカップル。ひかるは依存心が強くて優柔不断、高木は単細胞という性格なんだけど、それぞれの友達コミュニティにいるときの役割というか立ち位置が似てるんだよね。いまいち仲間の深刻な状況が理解できなくて、ボケたことを言うとかね。

『美人になる方法 運といい人を引き寄せる25のルール』

 

美人になる方法

美人になる方法

 

 美容法が書かれているのではなく、心の持ち方が書かれてます。「感謝の念を持とう」とか「言葉は現実化するから口癖に気をつけよう」とか自己啓発本の王道。そこに、美人になるための考え方プラス、ネット世界での身の処し方…悪いコメントはスルーしようみたいなtipsがプラスされています。

著者いわく、美人というのはバランスだそうで、突出する個性というよりも、平均的な体型、平均的な顔立ち、ポイントを押さえたメイク、ある程度のファッションセンスと持ち物、整った小綺麗な髪型。外見は以上を満たしておけばOKで(なんとなく安倍昭恵さんを思い出してしまった…)、8割の容姿の欠点があろうとも、2割の良い所を強調したり目立たせるようにすれば、人はなんとなく素敵な人だと認識するそうです。

著者の職業はメンタルコーチで、コーチング仲間との会話が登場していたのですが、そういう世界というか業界があるんだなと、そちらの方にも興味を持ちました。

『味憶めぐり―伝えたい本寸法の味』

 

味憶めぐり―伝えたい本寸法の味

味憶めぐり―伝えたい本寸法の味

 

 高知で生まれ、中学時代に上京し、高校を卒業後は都内でサラリーマン生活を送っていた著者の味の記憶巡り。主に昭和の東京の名店、そして高知と京都の食文化も堪能できます。料理を作るときに「よーし、美味しい料理を作るぞ!」と気合を入れる様を「腕をふるって」と言いますが、本書の場合は「筆をふるって」というのかな。小説家の著者が、読者に美味しさを追体験してもらおうという気合のこもった文章です。当然ながら、いちいち食べたくなります。

私はこれを読んでいる途中に餃子ライスが食べたくなって、夕食に餃子を作り、餃子を食べながら「天龍(銀座)餃子ライス」のページを読むという、ちょっとお行儀の悪い愉しみに耽ってしまいました。そこのところを少々引用

「タレの池に泳がせ、酢・醤油・ラー油を餃子の皮にまとわりつかせた。そして上部三分の一のあたりを強く挟んで口に運んだ。

皮のもっちりとした感じに、舌が大喜びをした。前歯で噛むと、皮が割れた。

餡は肉がたっぷりで、肉汁が口にこぼれ出た。その汁とタレの三味がからみ合った」

『フランス人は10着しか服を持たない~パリで学んだ“暮らしの質"を高める秘訣~』

 

フランス人は10着しか服を持たない~パリで学んだ“暮らしの質

フランス人は10着しか服を持たない~パリで学んだ“暮らしの質"を高める秘訣~

 

 数年前にすごく流行っていた本書。図書館で見つけたので借りてきました!(ちなみにもう次の予約が入ってた。私が書棚で見つけたのはラッキーだったんだな)

タイトルから、ワードローブを10着に抑えるノウハウが書かれているのかと思っていたのですが、それはほんの一部で、全般は生活全体、生き方全体の話。アメリカ人のような、安物大量買いをして物にまみれただらしない生活から、フランス人のように質の高いもの(衣服でも食べ物でも)を適量で満足する、節度のある文化的な生活をしよう、というもの。

アメリカで、この「フランス(主にパリ)に来てフランス人の素敵なライフスタイルに目覚める」というプロットは定番なのだろうか…。私が昔読んだ『スクループルズ』という小説でもまるっきりおんなじエピソードがあったwボストン出身のメタボなヒロインが、パリの貴族の家にホームステイして、清貧で文化的な生活に触れて、美しく変身するというもの。アメリカと違って間食をしないので主人公が最初ひもじい思いをするところとかデジャヴみたいにおんなじだった。

数ヶ月前に読んだ『フランスの子どもは夜泣きをしない』と同じ著者かと思ったら、違う人だった。こちらも知恵が足りずに困り果てるアメリカ人と、超然と人生を楽しむフランス人という対比。まあ、そういう読み物のジャンルなんだからと思いつつ、リアルなフランス人ってどんな感じなんだろうと思ったり。

本書で提案されているものたちは、日本でも女性誌特に文化度の高い女性雑誌では昔からよく提唱されていることなので、馴染みやすい。私自身も、私の漠然と目指す方向性に一段引き上げてもらったような感じで読みました。やっぱり読んでると良い刺激になります。

私が実践したいなと思ったのは「家の中でだらしない格好をしない」穴の空いたスウェットなどを着ない。これ、ほんとおおおおに反省した。第一歩として気持ちの上がりそうな色の綺麗なエプロンをamazonで買いました。

それからこれ「三食を大事にして間食を控える」。「そんなん言われなくてもわかっとるわい!」と思うでしょ?それがね、この本でタルティーヌとかフロマージュブランなんて単語を読んでると、「あああ、もっと夕食のセッティングを美しくして質の良い物を食べて夕食のためにお腹をすかせておくくらいにしなければ!」と、ダイエット本を読むよりも「その気」になるんですよ。

あとは「水をたくさん飲む」「なるべく階段を使ったりと日常の中で運動をする」これ前に読んだフランス本にも書いてあったな。米澤よう子先生のだっけ…。あ、米澤よう子先生の本が好きな人はこちらの本も楽しめると思います。

 

『光源氏の人間関係 』

 

光源氏の人間関係 (ウェッジ文庫)

光源氏の人間関係 (ウェッジ文庫)

 

中学生の時に田辺源氏を読んで以来の源氏物語ファンの私。一番好きな女君は紫の上です。でも「この人がなくては始まらない」と思うのはやっぱり六条御息所だと思いますし、あと『あさきゆめみし』では末摘花のエピソードが大好きです。末摘花と同じく世間ずれした兄君との不思議なやりとりや、おつきの中将の君に心配されてるところ、何年もほったらかしにされた後に源氏が末摘花の存在を思い出してくれてw一応、幸せなハッピーエンドを迎えるとか。それから私はどうしてもお笑い系の人が好きなので、近江の君も忘れられないんですよね。『あさきゆめみし』で、近江の君の庶民な振る舞いを注意しに来た頭の中将が、近江の君の顔を見て「(自分に)似てる…」と頭を抱えるところとか、おつきの女房としてついてきた近江の君の地元の友達が「同じ家に住んでるのに歌とか交換してバカみたい」とニヤニヤしながら言うところとか大好き。

…と、源氏物語の話をしだしたら止まらない源氏ファン必読の本書。なんといっても作者自身が「学生時代に宇治十帖を読んで体が震えるほど感動した」のですから、源氏物語への愛と探究心はすごいですよ!

私自身はそもそも田辺源氏を読んだのが源氏物語体験ですから、宇治十帖を読んでないんですよね。実は源氏関連本を読み漁っているうちに、あらすじを知って読んだ気になっているというあまり良い読者ではなく「宇治十帖って正編のおまけみたいなものらしいし、紫式部ではなく娘の大弐三位が書いた説もあるし、まあ読まなくてもよくね?」なんて思っていましたが、こちらを読んだら宇治十帖素晴らしいじゃないかと。今まで軽く見ていてごめんなさいと思いました。もちろん、正編の方の分析も素晴らしいです。

宇治十帖というか、源氏物語最後の解釈について「浮舟には最後にはお母さんの愛が残った」とか「浮舟という女性が主体的に自分の人生を歩もうとしている。対照的に薫という男性のなんとしょうもないことよ(浮舟はどうせどこかの男に囲われてるんだろう」とかあって、島内さんはどちらも取り入れながらも、浮舟はこれまでの物語世界、そして手垢のついた和歌の言葉、ありきたりの男女関係、それらそのものから外に踏み出していく存在なのではないか。それらの陳腐な物語世界への紫式部の嫌悪感がこの浮舟の頑なな拒絶につながっていったのではないかという読み方をされています。紫式部自身は、手垢のついた言葉やありきたりな男女の生き方、物語世界を超えた新しい世界の構築までには至らなかった。それは後世の読者が模索していく課題なのだろうと。

「『婦人公論』にみる昭和文芸史 (中公新書ラクレ)」

 

『婦人公論』にみる昭和文芸史 (中公新書ラクレ)

『婦人公論』にみる昭和文芸史 (中公新書ラクレ)

 

 冒頭の「細雪」が婦人公論に連載されていたときのエピソードに惹かれて、あと私が森まゆみさんの著作のファンだということもあって読み始めたんだけど、太宰治の項で太宰治のあまりのクズっぷりに苛々して途中で挫折した…。

内容はね、雑誌「婦人公論」に執筆していた文豪の紹介。谷崎潤一郎とか、林芙美子堀辰雄芥川龍之介に恋された女性…名前忘れた、その他錚々たる作家。太宰治やたらと死にたがって(その割に戦時中はちゃっかり死のうとしない)、しかもいつも女性を道連れにとか最高に苛々してこいつほんっとクズだな!と思ってしまった。

太宰治ほどイライラしなかったけど、他の作家も「いい気なもんだな」「勝手にしろ」みたいななんか悪態つきたくなるような感じだったんだけどなんでだろw 私ってそもそも大作家の奇行エピソードってそんなに好感持てないタイプなんだよな。中野翠さんがやたら褒めてた森茉莉の「世間知らずなお嬢様だけど味覚や美的感性は鋭い」エピソードも「めっちゃ性格悪くて質悪い!それにこの人とは美の感覚も味覚も合わない!」としか思えなかったし、三島由紀夫が私設軍隊作ったりしたのも「戦争で悲惨な目にあったこともない甘々おぼっちゃんのお遊び、よかったでちゅねー」としか思えない。ただ、三島由紀夫については、はりきってカッコつけてる時に面と向かって批判されたり、苦笑されたりすると、すごく落ち込むという話を聞いたので、後から少し好感を持ちましたw