『光源氏の人間関係 』
中学生の時に田辺源氏を読んで以来の源氏物語ファンの私。一番好きな女君は紫の上です。でも「この人がなくては始まらない」と思うのはやっぱり六条御息所だと思いますし、あと『あさきゆめみし』では末摘花のエピソードが大好きです。末摘花と同じく世間ずれした兄君との不思議なやりとりや、おつきの中将の君に心配されてるところ、何年もほったらかしにされた後に源氏が末摘花の存在を思い出してくれてw一応、幸せなハッピーエンドを迎えるとか。それから私はどうしてもお笑い系の人が好きなので、近江の君も忘れられないんですよね。『あさきゆめみし』で、近江の君の庶民な振る舞いを注意しに来た頭の中将が、近江の君の顔を見て「(自分に)似てる…」と頭を抱えるところとか、おつきの女房としてついてきた近江の君の地元の友達が「同じ家に住んでるのに歌とか交換してバカみたい」とニヤニヤしながら言うところとか大好き。
…と、源氏物語の話をしだしたら止まらない源氏ファン必読の本書。なんといっても作者自身が「学生時代に宇治十帖を読んで体が震えるほど感動した」のですから、源氏物語への愛と探究心はすごいですよ!
私自身はそもそも田辺源氏を読んだのが源氏物語体験ですから、宇治十帖を読んでないんですよね。実は源氏関連本を読み漁っているうちに、あらすじを知って読んだ気になっているというあまり良い読者ではなく「宇治十帖って正編のおまけみたいなものらしいし、紫式部ではなく娘の大弐三位が書いた説もあるし、まあ読まなくてもよくね?」なんて思っていましたが、こちらを読んだら宇治十帖素晴らしいじゃないかと。今まで軽く見ていてごめんなさいと思いました。もちろん、正編の方の分析も素晴らしいです。
宇治十帖というか、源氏物語最後の解釈について「浮舟には最後にはお母さんの愛が残った」とか「浮舟という女性が主体的に自分の人生を歩もうとしている。対照的に薫という男性のなんとしょうもないことよ(浮舟はどうせどこかの男に囲われてるんだろう」とかあって、島内さんはどちらも取り入れながらも、浮舟はこれまでの物語世界、そして手垢のついた和歌の言葉、ありきたりの男女関係、それらそのものから外に踏み出していく存在なのではないか。それらの陳腐な物語世界への紫式部の嫌悪感がこの浮舟の頑なな拒絶につながっていったのではないかという読み方をされています。紫式部自身は、手垢のついた言葉やありきたりな男女の生き方、物語世界を超えた新しい世界の構築までには至らなかった。それは後世の読者が模索していく課題なのだろうと。