『味憶めぐり―伝えたい本寸法の味』

 

味憶めぐり―伝えたい本寸法の味

味憶めぐり―伝えたい本寸法の味

 

 高知で生まれ、中学時代に上京し、高校を卒業後は都内でサラリーマン生活を送っていた著者の味の記憶巡り。主に昭和の東京の名店、そして高知と京都の食文化も堪能できます。料理を作るときに「よーし、美味しい料理を作るぞ!」と気合を入れる様を「腕をふるって」と言いますが、本書の場合は「筆をふるって」というのかな。小説家の著者が、読者に美味しさを追体験してもらおうという気合のこもった文章です。当然ながら、いちいち食べたくなります。

私はこれを読んでいる途中に餃子ライスが食べたくなって、夕食に餃子を作り、餃子を食べながら「天龍(銀座)餃子ライス」のページを読むという、ちょっとお行儀の悪い愉しみに耽ってしまいました。そこのところを少々引用

「タレの池に泳がせ、酢・醤油・ラー油を餃子の皮にまとわりつかせた。そして上部三分の一のあたりを強く挟んで口に運んだ。

皮のもっちりとした感じに、舌が大喜びをした。前歯で噛むと、皮が割れた。

餡は肉がたっぷりで、肉汁が口にこぼれ出た。その汁とタレの三味がからみ合った」

『フランス人は10着しか服を持たない~パリで学んだ“暮らしの質"を高める秘訣~』

 

フランス人は10着しか服を持たない~パリで学んだ“暮らしの質

フランス人は10着しか服を持たない~パリで学んだ“暮らしの質"を高める秘訣~

 

 数年前にすごく流行っていた本書。図書館で見つけたので借りてきました!(ちなみにもう次の予約が入ってた。私が書棚で見つけたのはラッキーだったんだな)

タイトルから、ワードローブを10着に抑えるノウハウが書かれているのかと思っていたのですが、それはほんの一部で、全般は生活全体、生き方全体の話。アメリカ人のような、安物大量買いをして物にまみれただらしない生活から、フランス人のように質の高いもの(衣服でも食べ物でも)を適量で満足する、節度のある文化的な生活をしよう、というもの。

アメリカで、この「フランス(主にパリ)に来てフランス人の素敵なライフスタイルに目覚める」というプロットは定番なのだろうか…。私が昔読んだ『スクループルズ』という小説でもまるっきりおんなじエピソードがあったwボストン出身のメタボなヒロインが、パリの貴族の家にホームステイして、清貧で文化的な生活に触れて、美しく変身するというもの。アメリカと違って間食をしないので主人公が最初ひもじい思いをするところとかデジャヴみたいにおんなじだった。

数ヶ月前に読んだ『フランスの子どもは夜泣きをしない』と同じ著者かと思ったら、違う人だった。こちらも知恵が足りずに困り果てるアメリカ人と、超然と人生を楽しむフランス人という対比。まあ、そういう読み物のジャンルなんだからと思いつつ、リアルなフランス人ってどんな感じなんだろうと思ったり。

本書で提案されているものたちは、日本でも女性誌特に文化度の高い女性雑誌では昔からよく提唱されていることなので、馴染みやすい。私自身も、私の漠然と目指す方向性に一段引き上げてもらったような感じで読みました。やっぱり読んでると良い刺激になります。

私が実践したいなと思ったのは「家の中でだらしない格好をしない」穴の空いたスウェットなどを着ない。これ、ほんとおおおおに反省した。第一歩として気持ちの上がりそうな色の綺麗なエプロンをamazonで買いました。

それからこれ「三食を大事にして間食を控える」。「そんなん言われなくてもわかっとるわい!」と思うでしょ?それがね、この本でタルティーヌとかフロマージュブランなんて単語を読んでると、「あああ、もっと夕食のセッティングを美しくして質の良い物を食べて夕食のためにお腹をすかせておくくらいにしなければ!」と、ダイエット本を読むよりも「その気」になるんですよ。

あとは「水をたくさん飲む」「なるべく階段を使ったりと日常の中で運動をする」これ前に読んだフランス本にも書いてあったな。米澤よう子先生のだっけ…。あ、米澤よう子先生の本が好きな人はこちらの本も楽しめると思います。

 

『光源氏の人間関係 』

 

光源氏の人間関係 (ウェッジ文庫)

光源氏の人間関係 (ウェッジ文庫)

 

中学生の時に田辺源氏を読んで以来の源氏物語ファンの私。一番好きな女君は紫の上です。でも「この人がなくては始まらない」と思うのはやっぱり六条御息所だと思いますし、あと『あさきゆめみし』では末摘花のエピソードが大好きです。末摘花と同じく世間ずれした兄君との不思議なやりとりや、おつきの中将の君に心配されてるところ、何年もほったらかしにされた後に源氏が末摘花の存在を思い出してくれてw一応、幸せなハッピーエンドを迎えるとか。それから私はどうしてもお笑い系の人が好きなので、近江の君も忘れられないんですよね。『あさきゆめみし』で、近江の君の庶民な振る舞いを注意しに来た頭の中将が、近江の君の顔を見て「(自分に)似てる…」と頭を抱えるところとか、おつきの女房としてついてきた近江の君の地元の友達が「同じ家に住んでるのに歌とか交換してバカみたい」とニヤニヤしながら言うところとか大好き。

…と、源氏物語の話をしだしたら止まらない源氏ファン必読の本書。なんといっても作者自身が「学生時代に宇治十帖を読んで体が震えるほど感動した」のですから、源氏物語への愛と探究心はすごいですよ!

私自身はそもそも田辺源氏を読んだのが源氏物語体験ですから、宇治十帖を読んでないんですよね。実は源氏関連本を読み漁っているうちに、あらすじを知って読んだ気になっているというあまり良い読者ではなく「宇治十帖って正編のおまけみたいなものらしいし、紫式部ではなく娘の大弐三位が書いた説もあるし、まあ読まなくてもよくね?」なんて思っていましたが、こちらを読んだら宇治十帖素晴らしいじゃないかと。今まで軽く見ていてごめんなさいと思いました。もちろん、正編の方の分析も素晴らしいです。

宇治十帖というか、源氏物語最後の解釈について「浮舟には最後にはお母さんの愛が残った」とか「浮舟という女性が主体的に自分の人生を歩もうとしている。対照的に薫という男性のなんとしょうもないことよ(浮舟はどうせどこかの男に囲われてるんだろう」とかあって、島内さんはどちらも取り入れながらも、浮舟はこれまでの物語世界、そして手垢のついた和歌の言葉、ありきたりの男女関係、それらそのものから外に踏み出していく存在なのではないか。それらの陳腐な物語世界への紫式部の嫌悪感がこの浮舟の頑なな拒絶につながっていったのではないかという読み方をされています。紫式部自身は、手垢のついた言葉やありきたりな男女の生き方、物語世界を超えた新しい世界の構築までには至らなかった。それは後世の読者が模索していく課題なのだろうと。

「『婦人公論』にみる昭和文芸史 (中公新書ラクレ)」

 

『婦人公論』にみる昭和文芸史 (中公新書ラクレ)

『婦人公論』にみる昭和文芸史 (中公新書ラクレ)

 

 冒頭の「細雪」が婦人公論に連載されていたときのエピソードに惹かれて、あと私が森まゆみさんの著作のファンだということもあって読み始めたんだけど、太宰治の項で太宰治のあまりのクズっぷりに苛々して途中で挫折した…。

内容はね、雑誌「婦人公論」に執筆していた文豪の紹介。谷崎潤一郎とか、林芙美子堀辰雄芥川龍之介に恋された女性…名前忘れた、その他錚々たる作家。太宰治やたらと死にたがって(その割に戦時中はちゃっかり死のうとしない)、しかもいつも女性を道連れにとか最高に苛々してこいつほんっとクズだな!と思ってしまった。

太宰治ほどイライラしなかったけど、他の作家も「いい気なもんだな」「勝手にしろ」みたいななんか悪態つきたくなるような感じだったんだけどなんでだろw 私ってそもそも大作家の奇行エピソードってそんなに好感持てないタイプなんだよな。中野翠さんがやたら褒めてた森茉莉の「世間知らずなお嬢様だけど味覚や美的感性は鋭い」エピソードも「めっちゃ性格悪くて質悪い!それにこの人とは美の感覚も味覚も合わない!」としか思えなかったし、三島由紀夫が私設軍隊作ったりしたのも「戦争で悲惨な目にあったこともない甘々おぼっちゃんのお遊び、よかったでちゅねー」としか思えない。ただ、三島由紀夫については、はりきってカッコつけてる時に面と向かって批判されたり、苦笑されたりすると、すごく落ち込むという話を聞いたので、後から少し好感を持ちましたw

『アルビノを生きる』

 

アルビノを生きる

アルビノを生きる

 

本書は著者の川名紀美さんが、様々なアルビノの人にインタビューをしたもの。なんだか良質な群像劇を味わったような読後感。日本全国、様々な年代のアルビノの人の話が紹介されつつ、それぞれの人たちが知り合いだったり、影響を受けていたりと、微妙に互いが重なり合っています。

そして、アルビノの人たちが重なりあう結束点みたいになってる人がいるんですよね。一人は冒頭に登場する石井更幸さん。それから石井さんがオフ会を積極的に開いていくきっかけとなった「アルビノのページ」というホームページを作った宮元浩子さん。アルビノの人たちが交流できる場を作りたいと、アルビノ・ドーナツの会を主催している薮本舞さん。彼らをハブにしながら、全国に散らばっていたアルビノの人たちが出会い、つながっていく様子は読んでいてワクワクします。

ちなみにアルビノというのは、生まれつきメラニン色素が足りないという、1~2万人に1人の割合で現れる遺伝性の疾患です。メラニン色素の欠乏から紫外線に弱く、また、視覚障害を伴うことが多いそうです。

そういう身体的な不自由に加え、医療機関や学習機関の無理解で適切な治療やサポートを受けられなかったり、差別に直面することもある。そうした中で、どう折り合いをつけたり乗り切って生きるか。それぞれの人の体験を読み出したら止まらないほどでした。

アルビノの子を親はどう育て見守っていくか。今の私としては、そういった親の側からの体験談を特に熱心に読みました。一番私の中に残ったのは相羽大輔さんのお母さん久枝さんが、小学生の時に上履きを隠される意地悪をされた大輔さんに「なくなったら探さなくてもいい。上履きくらい、いくらでも買ってあげる」と毅然として言ったというところ。なんで印象に残ったんだろ…。私が子供の頃に同じことがあったら、まず親に隠しただろうし、親に知られたところで私に味方してくれるわけでもない、むしろ私を責めるような対応をしてきたんじゃないかと思うんだよね。そんな中に、こういう自分のことを全面的に受け入れてくれる態度を見せてくれたらすごく心強かったんじゃないかなと思って。

あと、仏教に関心のある私としては、仙台にある「みんなの寺」の存在を知ることができてよかった!巷によくある金満似非仏教ではない、本来の仏教に即した、誰でも自由に立ち寄れるお寺。そのお寺を作った住職がアルビノだということで、本書に登場するのですが、仏教やお寺への考え方にとても共感して、このお寺に行きたい!!と思いました。檀家ゼロから始めて、巷のお寺がやるように、葬儀、法名、法事に高額なお金を請求したりせず、金銭的な運営という面では不安な船出だったものの、それが多くの人に喜ばれ、檀家も収入も逆にどんどん増えていったというのが痛快でした。

締めがアルビノと関係ない話になってしまいましたが、そういう様々な分野の人たちの生活や生き方が垣間見れるという面白さも本書にはあるんですよね。

『家族写真をめぐる私たちの歴史: 在日朝鮮人・被差別部落・アイヌ・沖縄・外国人女性』

 

家族写真をめぐる私たちの歴史: 在日朝鮮人・被差別部落・アイヌ・沖縄・外国人女性

家族写真をめぐる私たちの歴史: 在日朝鮮人・被差別部落・アイヌ・沖縄・外国人女性

 

 在日朝鮮人女性である皇甫康子さんが在日女性のグループ「ミリネ」のメンバーに呼びかけ、お互いの家族写真を持ち寄り語り合ったことが、本書が生まれた始まり。

朝鮮半島被差別部落アイヌ、沖縄、フィリピン、スリランカベトナムにルーツを持つ女性たち24人が家族写真を持ち寄り、そこからライフヒストリーや家族との関わりなどを語ります。

読んでいて感動もしたし、涙ぐむときもあったし、しみじみとした気持ちにもなりました。でもこの本はそういった感動や気持ちを消費するだけのものではありません。この社会でマジョリティとして生きる私は、本書を読んで「すごくいい本だった、感動した」というだけではいけない、晴れ着であるチマチョゴリを着るのに勇気がいる社会、誰かに傷つけられるのではないかと緊張する社会ではいけない、そう強く思いました。

現在は昔みたいな差別は無くなった社会だと言う人もいますが(あの在特会の存在を知っていてもなおそういう認識の人がいるんですよ!)、出自や差別にまつわることは祖父母から親、子、という縦構造で伝わり、結婚するときにいきなり相手方の親の反対などで露呈する、という感じで、今も多くの人を苦しめているのではと思います。

自分自身についても「私は差別意識などない」と思っていても、単に無知で無自覚でそう言ってるだけのことがあるんですよね。自分でも注意深くありたいです。

それから、冒頭にあげた、本書を読んで感動したり涙ぐんだりしたところ。そうなんです。そういう魅力もこの本にあるのです。語り手の方の祖父母、親世代の困難な人生、語り手の方たちの世代との衝突、語り手の方たちが大人になって親たちを理解したり和解したりするところ。そんな、親子の物語、家族の物語ということでも、とても心を動かされました。

『モンゴル帝国の興亡 (ちくま新書)』

 

モンゴル帝国の興亡 (ちくま新書)

モンゴル帝国の興亡 (ちくま新書)

 

 世界史の中心といえば中東とヨーロッパかと思っていたところに、突然世界史の主役に踊り出てくるモンゴル。アジアの、しかもめっちゃマイナーな地域だし。しかも主役になったと思ったらその後まったく音沙汰聞かないし。そんなモンゴル帝国がどのように繁栄し、ヨーロッパまで席捲したあとは一体どうしちゃったのか。ぜひ知りたいー!と思って本書を読み始めたのですが…途中で挫折してしまった。

モンゴル帝国の建設者、テムジン・チンギス・ハーン以前のモンゴルの記録を、唐、遼、ペルシア、金それぞれの国にあるものから載せてあって、そこで挫折した。単語が読めなくてつっかえるのと、情景がさっぱり思い描けなかった。少し引用してみると「唐の記録によると、大山の北に、大室葦部落がある。その部落は望建河(アルグン河)にそっている。その河は、源は突厥(トルコ)の東北界の倶輪泊(ホロン・ノール湖)に出て、屈曲して東に流れ、西室葦の界を経、また東に流れて…以下略」こんな感じ。これで挫折。

なので、モンゴル帝国盛衰の流れはよくわからなかったけど、ところどころ知ってよかった知識を仕入れられた。

まずこれ。

「歴史は、世界中どこにでもあるというものではない。地中海世界と、中国世界に起源があって、そのほかの地方には、それぞれ地中海型か、それとも中国型かのコピーしかない」

地中海世界では、紀元前5世紀に、地中海の一角、小アジアのハリカルナッソスに生まれた、ギリシア人とカリア人の混血のヘーロドトスという人が、前480年にペルシア王クセルクセースが、大群を率いてギリシア全土を攻めて、アテーナイの前のサラーミスの海戦で敗れて逃げ帰った事件に興味を持ち、この問題を「研究」して『ヒストリアイ』(調査研究)という書を書いたので、それが発端になって「ヒストリア」が「歴史」という意味を持つようになった」

「中国世界では、紀元前2世紀の末の前104年、前漢武帝が、この年の陰暦十一月(子の月)の朔(ついたち)が、六十干支の最初の甲子の日であり、しかもこの日の夜明けの時刻が冬至であるという、中国の暦学でいう、宇宙の原書の時間と同じ状態が到来したのに合わせて、太初という年号を建てた。このとき、太史令(宮廷秘書官長)の司馬遷らの定義によって、歴訪を改正することになり、「太初暦」が作られて、それまで年頭であった十月(亥の月)に代わって、正月(寅の月)が年頭になった。

司馬遷がこれを記念して、『史記』を書きはじめ、前97年に及んで完成した。「史」はもともと、「記録係の役人」という意味だったが、太史令の司馬遷が『史記』を書いてから、はじめて「歴史」という意味ができた」