『李香蘭 私の半生』戦前の中国大陸

 

李香蘭 私の半生

李香蘭 私の半生

 

 四方田犬彦さんの『原節子李香蘭』が面白くて、特に李香蘭の項がよかったので、今度はご本人の半生記を読みました。自伝というか、藤原作弥さんが山口淑子さんにインタビューし、ご本人の記憶の途切れているところを取材して保管しながら書き上げたみたい。

李香蘭とか山口淑子さんとか一応説明しておく?李香蘭とは、山口淑子さんの芸名。芸名なんだけど、中国にいた頃に父の友人の李さんという人の養女になった時の名前ということで、子供の頃にこの名前がつけられた。だからまるっきりの芸名というわけじゃないんだよね。友人の養女というのは、なんでも中国では、友情の証として、親しい友人に自分の子供の義理の親になってもらって名前をつけてもらうという風習があるらしい。でも、後に学業のために、潘さんというまた別の中国人のお家に下宿しながら中国の学校に通うため、淑華という名前もつけてもらうんだよね。このときは日本への反感が高まってきた時だったから、日本名だと危険だということで中国名に。ややこしいねw

山口淑子さんは中国で生まれ育ったけど両親は日本人。だから日本語も中国語も流暢で、両国の文化にも通じてた。でもどちらかというとやっぱり生まれ育った中国の慣習や文化の方に馴染んでいたみたい。

山口淑子さん…というより私にとっては李香蘭の方がしっくりくるので以下こちらの呼び方で。李香蘭は10代の頃、ロシア人の親友リューバに誘われて声楽を習い始める。それで習い事の発表会なんかをしているうちにラジオ局の目に止まり、歌手として活動し始めるの。ラジオで歌う歌手としてそこそこ知られ始めた時に、今度は満映という、当時の日本の国策映画会社の目に止まり「日本語のできる満州女子」という設定で、あれよあれよという間に映画女優としてデビューすることになるんだよね。その後はレールの上をひた走るように、どんどん人気女優の道を進んでいく。

でも本人としては辛いところもすごくあるんだよね。本当の自分を隠しているから、インタビューなんかで生い立ちを聞かれてもうまく答えられない。嘘をついてるようなモヤモヤ感がつきまとう。中国の友人たちには「なんであんな中国人を侮辱するような映画に出るの??」と厳しく批判される。

日本でも大人気になった李香蘭は、いよいよ来日することに。李香蘭も「日本は文化も進んでいるし行くのが楽しみ!なんといっても祖国だし」と胸膨らませて下関に上陸するんだけど、そこの憲兵に「貴様!日本人なのになんでチャンコロの服を着たり名前を名乗ったりするんだ!」と怒鳴られてしまうの。いきなりショック。ここ読んでほんっと頭にきた!もうね、当時の兵隊のクソ威張り具合がほんっとひどい。いや、まあいい人もいたんだろうし、この本にも実際出てくるけどさ。ただし戦争批判者としてだけど。

中国で威張り散らす兵隊もほんっとかっこわるかった。これは上海での話で出てきたんだけど、威張り散らす場所が日本租界だけ(当時の上海は租界と呼ばれる英米仏日などの外国人居住区があった)という内弁慶さ。また、現地の中国人が日本が戦争に負けたことをすでに知っていて生暖かく見ているのに、当の軍人はそのことを知らなくて(情報が入ってきてもデマだー!と否定して)相変わらず威張り散らしてるとかもうほんっとイヤ。

山口淑子さんの自分を偽る苦しさは終戦とともに解放される(その前に、記者会見で自分は日本人だと告白する決意をしたんだけど未遂に終わる)。終戦当初は、中国を日本に売り渡した「漢奸」として軍事裁判にかけられる。そこで、ソ連の役人になっていた少女時代の親友リューバの働きかけで日本の戸籍謄本を取り寄せ、日本人であると認められて漢奸の疑いが晴れることに。

この辺りで本書の大体のところは終了。山口淑子さんのその後の人生もまたすごくて、ハリウッドに渡ってチャップリンやジェームス・ディーンと親交を持つとかブロードウェイのミュージカルで主役を演じたとか。でもその辺りはさらっと終わっちゃうのよ。「えええ、そこの話もっと詳しく!」って言いたくなっちゃうよね。でもタイトルが「李香蘭 私の半生」だし、山口淑子さんが李香蘭時代を整理して向き合うことが本書の目的なんだろうな。

あと、川島芳子登場シーンで、いつも肩に小猿をのっけて現れるというのがちょっとツボったw