『台湾少女、洋裁に出会う――母とミシンの60年』


ミニシアターで素敵な小品を観終わった読後感。あとね、台南に行きたくなった!台南の路地裏とかね、ハヤシ百貨店(いまもあるらしい)とかね、見に行きたい。


本書の主な舞台は台南。主人公は著者のお母さんである施伝月さん。ずっと洋裁学校を運営してました。伝月さんは日本統治時代の台南に生まれ、少女時代に親戚の結婚式で見た白いウェディングドレスで洋服の世界に憧れ、家業の雑貨店で店番をさせられていた頃に見た、日本の婦人雑誌の洋裁のページ(雑誌の切れ端を貼りあわせて、商品を入れる紙袋にしていたそう)を扉に、見よう見まねの独学で洋裁の道に入りました。鬱々とした店番だけの日々に見るキラキラした雑誌から憧れが膨らみ、日本語という言葉の障壁に苦労しつつも独学で洋裁の勉強を始め、なんとか服が出来上がっていく興奮、読んでいるこちらもワクワクします。


当時の台湾は…って、たぶん日本もそうだったと思うけど「女が外に働きに行くなんて恥だ!とんでもない!」という時代。そんな中、なんとかお父さん(著者のおじいさん)を説得して、貧窮していたお父さんも「お金が入るんなら、まっいいか」とちゃっかり納得してw、伝月さんは当時の台南で一番オシャレで最先端の洋裁店に働きに行くことに成功します。(今や台湾といえば日本以上に女性の社会進出が進んでいるのにね)


洋服と洋裁が大好きで、ガッツがある伝月さんは洋品店でメキメキと頭角を現します。でも、若い男女がわいわい働いていた洋品店は恋愛沙汰も多くて、同僚のトラブルのとばっちりを食らって辞めることになるんだよね。でも既にその腕が評判になっていた伝月さんには、フリーになってからも仕立や、「洋裁を教えてほしい」という依頼がひっきりなしにやってくるんだよね。ここから後の洋裁学校の経営者となるきっかけが生まれてくるの。  

 

伝月さんは、当時の台湾の価値観では全く「かわいくない女性」だそうでした。背がすごく高くて意志の強そうな顔立ちで。娘時代からよく「嫁の貰い手がないよ」なんて言われていたそうですが、でも写真で見る伝月さんは背が高いから洋服の着映えがして、顔立ちだってかっこいいし、すごく素敵です。

 

その後の伝月さんの人生、日本への留学、戦争をどう乗り越えたか、結婚出産育児、洋裁学校の設立と終焉…こちらはぜひ本書を読んでみてください!